蟻通神社ブログ
言葉に宿る力
<言葉について その2> 古来より日本人は、言葉には、特別な霊力が宿ると考えていました。『万葉集』の中に、「言霊の幸わう国」という表現があります。言霊(ことだま)とは、言葉に内包された霊力、また、言葉を唱えることによって、霊力が発揮されるとする考え方のことです。これは、精霊信仰の一環としてとらえる見方や、また人の心を動かす作用としての側面からも説明されますが、このような考え方を日本文化の一つの特徴とする説もあるそうです。
本来は、呪文・呪詞のみが神の威力に裏付けられた権威をもっていたとされる考え方もあるそうです。民族宗教で、共同体祭祀として発展してきた神道は、細やかな教えは不要でした。
「神道は、言挙げしない」のが特色であると言われます。それは、言葉に霊力があるとする言霊思想とも関連し、声高に言い立てることを禁忌とする習慣が存在していていました。神道が、ことさらに理論的な教理や教説を主張しないのが特徴であるということを強調してこのように言われるようになりました。
自らが口にした言葉それ自体に超越的な力や働きがあると考えるのは、現代社会でも残っています。例えば、結婚式などのおめでたい席で、死や病気などを連想させる言葉はタブーとされるなど、不吉なことを連想させる言葉を使うのを避け、他の表現に変える、忌詞(いみことば)は、今も生きています。
また、言葉の響きを重視する思考法は、忌詞以外にも見られ、病人のお見舞いにシ(死)ク(苦)ラメンやサイ(再)ネ(寝)リアの花は避けるなどは、語呂合わせ的解釈によります。語呂合わせも言霊信仰の表れと言えます。
古来から、人びとが言霊の働きに期待して、祈りや願い、場合によっては呪の言葉を口にしたのだろうと考えられます。
私たち神主が、神さまに向かって発する言葉が祝詞(のりと)です。祝詞の歴史は、古く、天岩戸の前で、アメノコヤネが奏上したフトノリトゴトがルーツといわれています。祝詞の語源については、諸説あるのですが、呪的なものと密接な意味をもつ{ノリ}と{ト}からなるとする説が通説になりつつあるそうです。このことから祝詞は、言霊の働きを強く期待した祈りの言葉であると同時に神さまを讃え、誠の心を披歴する言葉といえます。
祝詞には、多くの種類がありますが、いずれも『万葉集』などで用いられている大和言葉で語られ、荘厳な響きがあります。神職は、養成期間中に祝詞の勉強をしてそれぞれの祭祀に合わせた祝詞を作る勉強を致します。現代語では、使用しない言葉で書くので、非常に難しく、また荘厳に響くように奏上するのは、日々の修練が必要です。
参考文献:「神道事典」 弘文堂 「神道」 ナツメ社
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年05月15日
東日本大震災から2ヶ月が経ちました。
<言葉について>
震災から2ヶ月となりました。新聞やテレビでは、今、現在でもがれきの山が残っていたり、避難所で生活をされている方々がたくさんいらっしゃったり、原発問題も終息までまだまだという報道が続いています。
震災の直後は、普通に暮らしている自分が、申し訳ないような毎日でした。でも今は、元気でいられる者が、力を蓄えておいて、被害に遭われた方たちに、各自がそれぞれでできるご支援をすることが、大切なのだなと思っています。
テレビのCMでおなじみになった、金子みすゞの詩やネットで配信されていた宮沢賢治の詩など、きれいな言葉・優しい言葉・心地よい言葉が持つ力は本当に大きいなと感じました。しかし、震災の直後は、被害に遭われた方も報道等で見ていた人も言葉を失いました。人間の想像をはるかに超えたものに対して、出てくる言葉というものはないのだなということも知りました。
神道は、”言葉”の宗教ではありませんでした。創唱宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教は、創唱者の”言葉”によって教団が発生し、経典が作られ、協議が形成されました。
神道は、自然発生的に形成された宗教です。長い歴史において神道を言葉で説明するという営みは、きわめてまれな現象でした。神道の起源は、弥生時代頃と言われています。弥生時代、日本で、米・あわ・麦などの五穀が栽培されるようになり、穀物が稔るかどうかは、日本人の生活の中では、重大問題でした。その五穀豊穣を神々に祈ることが日本人の生活を構成する一部分となりました。
春祭りは、豊作を祈願し、秋祭りは、豊作を感謝し、その祭に参加することは、しごく当然のことであり、また義務でもありました。神道は、日本人の生活と密接なつながりをもっていました。よって、神道を言葉で説明をする必要がほとんどなかったのです。
しかし、第二次世界大戦後、神道は、大きな変革をしなければならなくなりました。高度経済成長による産業構造の変化、農業人口の激変や核家族の増大などで稲の豊作・凶作に一喜一憂する方の数は、減りました。春の祭・秋の祭・農業と結び付いた祭の本来の意味・意義を理解して参加してくださる人の数も少なくなっていると思います。
そういう現代社会において、神社神道も「神道とは何か」を言葉で、お伝えし始めているのかなと思います。今、私がしているブログやホームページを作られている神社、神道の本・雑誌などもよく見かけるようになりました。
ただ、私自身ブログをしていて、言葉を発信するということは、自分の中身が問われ、勉強をしないと書けないということを、痛感しています。
参考文献:「神道とはなにか」 阿蘇谷 正彦著 ぺりかん社発行
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年05月11日
社報が出来ました。
<5月1日付で蟻通神社の社報を発行させていただきました。>
今までは、長滝ご出身の大学教授の先生が書いて下さった由緒書きはあったのですが、神社の現在のご様子をお知らせする機会がなかなかありませんでした。 全国各地のいろいろな神社では、氏子崇敬者の皆様への社報(広報紙)を発行されている所が数々あります。
それを参考にさせて頂いて私どもも、地域の皆様に、もっと神社を身近に感じて頂けたらよいなと考え、町内会の役員様にお願いをして、社報を回覧板で回させて頂きました。
試行錯誤しながらの素人が作った物なので出来栄えはまだまだなのですが、第1号で終わることのないように頑張りたいです。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年05月08日
明日は、まくら祭です。
<泉佐野・日根神社さんのまくら祭がおこなわれます。>
毎年5月4と5日に行われます。古くは、旧暦の4月2日、新暦では、5月8日だったのが、近年になって現在の日に行われるようになりました。
日根神社は、大鳥、泉穴師、聖、積川と並び和泉国五社の一つにあげられ、またそばを流れる樫井川の守り神として古くから、厚い信仰を集めました。
樫井川から農業用水を得ている日根野・上之郷・長滝の3地区が交代で祭を担当しています。長滝地区、上之郷地区は、氏神神社との2重氏子ということになります。
今年は、上之郷地区の皆様の担当です。この祭礼は、全国的にも珍しい、飾り枕を取り付けたまくら幟が活躍するので、まくら祭りとよばれるようになりました。
今年は、3月11日の東日本大震災のことを配慮されてまくら幟は曳行されず、おみこしだけになりました。明日の朝、日根神社さんを出発して、旧熊野街道沿いの長滝西にある御旅所まで渡御されます。
昭和33年までは、岡本の船岡山まで渡御していたそうです。古い写真には、神職が、馬に乗って渡御している姿が写っていました。現在は、自動車です。
明日のお祭りの前に役員さん方が丸一日、お掃除をして下さいました。重労働をして頂いて、ありがとうございました。
新しい絵馬掛けを作って下さいました。
樹木の消毒をされています。
木が多いので、大変です。
側溝の泥上げをして下さいました。
溝の蓋を外すだけでも大変な手間です。
泥や葉っぱがたくさんたまっていました。とってもきれいになりました。
ここからは、お旅所の中です。
玉垣に竹を立てて四垂を付けて下さっています。
横の道路が旧熊野街道です。
竹の下枝を掃うのが大変です。
例年は、この中にまくら幟とおみこしなどが入って神事を行います。そのあと、巫女神楽が舞われるのですが、今年は、神事のみとなります。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月04日
ろうそく能に行ってきました。
<第4回 佐野町場ろうそく能公演に行ってきました。>
5月3日、泉佐野ふるさと町屋館旧新川家住宅の中庭で能楽の公演がありました。今日は朝から曇り空でした。雨は降らずに一日終わるかなと思っていましたら、独鼓『蟻通』が始まってすぐに雨が降り出してしまいました。
蟻通神社は、古来から雨乞いの神だったので、雨を降らせてしまったのかもしれません。
せっかくの竹灯篭が残念だったのですが、急遽、新川家の座敷での公演となりました。本当に近い距離でお能を見せていただるという貴重な体験ができました。
『歌占』という能だったのですが、最後の方で難クセと言われる曲舞を舞われているのをそばで見ることができて贅沢だなと思いました。能楽師の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。
新川家の中庭の舞台ろうそくが雰囲気を盛り上げていました。
手作りの竹灯篭
能楽のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年05月04日