蟻通神社ブログ
今日は、祈年祭でした。
<祈年祭について。続き>
祈年祭の起源は明らかではありませんが、神代の昔、大地主神の作られた田の苗を御歳神がたたって枯れさせようとしたとき、大地主神が白馬・白猪などを供えて 御歳神を和め奉ったので苗は、再び茂ったという伝説が「古語拾遺」に見えています。
日本の文化は、稲作を中心とする農耕文化を基盤として成立していて、春には、五穀の豊穣を神に祈り、秋にいたっては、その豊作を神に感謝する基本的な祭祀儀礼が、律令国家確立に伴い国家の祭祀としてとり上げられ、制定されたものとみられています。 祈年祭のことを「トシゴイの祭」ともいいこの場合、「トシ」は穀物のことを指し、穀物の豊穣を祈る祭という意味です。
律令体制の衰微していった時代から戦乱の間は、祈年祭の実施を全くみない時代もありました。明治2年に復興され古儀再興に伴い、祭日も2月4日に宮中において頒幣の儀を行い、17日に小祭を持って宮中三殿に祭典を執り行い、また神宮には勅使を遣わされ17日に大祭を行うほか全国官幣社以下の各神社において大祭として行われました。
しかし、第二次世界大戦後、国家の祭典たる色彩の強い本祭は、全国神社よりその名称は、一時消失し、春祭りとしてその面影を留めていましたが、次第に戦前のように復興していきました。祭日は、各神社の由緒のある日などに行われています。 伊勢神宮などでは、現在も古儀のままの形で祈年祭を厳行しています。
「日本書紀」に見える崇神天皇の詔に 『農は、天下の大本なり。民の恃(たの)みて以て生くる所なり。』 とあるように農業は、日本の産業の根幹で、その消長は直ちに国力に響いてきます。
今回の震災で農地も壊滅的な被害を受けました。また、原発事故により収穫した作物が出荷できないという被害に遭われている多くの方々も。 どんなに働きたくてもそれが叶わないという悔しい気持ち、腹立たしい気持ちをたくさんの方がお持ちだろうと思います。
豊作を祈るこの祭は、単に農業関係のみの祭ではなく、あらゆる産業の人々が、その職業を通じて国家社会の進展に貢献することを祈る意味に拡大して考えるのがよいと書かれている本がありました。
今、ご苦労されている方々が、一日も早く元の生活に戻れますように、という気持ちを込めて、今日の祭典に参加させていただきました。
昔は、農業技術も今より低く、農薬等もなかったので、数年に一度は、凶作に見舞われ、彼岸花の球根などで生命をつないだ人々もあったそうです。 苦労してきた祖先の血を受け継いで今の世に生を得ているわたしたちは、技術が進み、生活に恵まれているということを、神々と祖先に感謝する気持ちを心の片隅に持ち続けることが大事だなと思います。
参考文献:神道辞典 堀書店発行
北側参道
桜が見ごろでした。
奉納していただいた幟
祈年祭が始まる前
祈年祭が始まる前
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月10日
紀貫之の絵馬の原作者 中島先生の個展に行ってきました。
<日・台芸術家交流四人展 中之島リーガロイヤル1階ホテルギャラリーにて>
今年は、中華民国(台湾)建国100周年だそうです。 芸術を通して台・日の親善交流がさらに深まるようにというテーマで、洋画・陶芸・篆刻・水墨画の芸術家四名の方々の、多彩な作品が展示されていて、目を楽しませて下さいます。作品展の期間は、4月10日までなのですが、芸術にご興味のある方は、是非お出かけください。以下は、撮影の許可を頂きました作品展の写真です。
中島先生製作の蟻通神社の板絵写真に撮って飾って下さいました。テーマ『蟻通伝説』 『帆下松』
テーマ『紀貫之』 『長滝』の地名にちなんで
蟻通神社のコーナーを作って下さいました。
中島先生の作品
中島先生の作品
中島先生の作品
陶芸家 澤田先生の作品
水墨画家 陸橋先生の作品
篆刻 林先生の作品
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年04月09日
四月十日は祈年祭が執り行われます。
<祈年祭(きねんさい)とは?>
このブログを入力しようとした途端、「宮城県沖で強い地震が発生した」とニュースが報じました。 被災地の方々にとっては、もういい加減にしてほしいと、本当に腹立たしいお気持ちだろうと思います。大きな被害のないことをお祈りいたします。
祈年祭とは、『としごいのまつり』 ともいいます。十一月の収穫感謝祭である新嘗祭(にいなめさい) と対になる形で、古くから重要な祭祀とされてきました。 二月十七日に五穀豊穣と国家安泰を神々に祈る祭りであり、宮中や伊勢の神宮をはじめ、全国各地の神社においておこなわれていました。 奈良朝以来の律令制下では、規定されている祭祀に際して、全国の神社(官社)に幣帛(へいはく)がお供えされていました。各神社では、それぞれの祭祀により幣帛の有無や、内容の差異がありましたが、特に祈年祭の場合に限り、重要な祭祀として、総ての官社に幣帛が捧げられています。平安時代中期成立の『延喜式神名帳』には、官社として2861社の神社が掲載されています。 延喜式には、祈年祭で供える幣帛の品目も挙げられており、布帛や、弓、楯、酒、干し肉、海藻などさまざまな奉献物が供えられていたようです。 また祭にあたり、厳重な物忌(斎戒)が求められており、大嘗祭を除き、最も重要な祭となっています。 その後、律令制の衰微や戦乱などにより、祈年祭の執行も大きな影響を受けましたが、明治初年の神祇官復興に至り、再び重要な祭祀として位置付けられています。
参考文献:「神道いろは」神社新報社
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年04月08日
桜が咲き始めました。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月05日
長滝子ども会の皆様の清掃奉仕
<今日、長滝子ども会の皆様が境内をお掃除して下さいました> 昨日とは、うって変わって冬に戻ったかのような寒い一日でした。 日曜日の早朝から長滝中・西・東の番の子ども会の役員さんや子どもさんが広い境内のあちらこちらを一生懸命お掃除して下さいました。 一人より二人、二人より三人と、人の力というのはありがたいですね。落ち葉や草やゴミがなくなって、すっかりきれいになりました。 皆様寒い中、本当にありがとうございました。
末社・摂社さんの前
蔵の前
北の参道
社務所の裏です。
本殿の中です。
本殿の裏側です。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月03日