蟻通神社ブログ
画家 中島祐司先生の個展のお知らせ
<蟻通神社の本殿板絵や絵馬の製作をして下さった 中島 裕司(ナカジマ ヒロシ)先生が個展を開催されます。>
皆様ぜひ、お出かけくださいませ。
個展のパンフレットです。
日時:2011年4月5日(火)〜10日(日) 10:00〜18:00(最終日 17:00まで)場所:リーガロイヤルホテルギャラリー (リーガロイヤルホテル 1F) 〒530−0005 大阪市北区中之島5−3−68 TEL (06)6448−1221 ※JR大阪駅から、ホテルの無料送迎バスがあるそうです。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月26日
蟻通神社オリジナル絵馬が完成しました。
< 紀 貫之 (きの つらゆき) 縁(ゆかり)の絵馬>
原画制作は、日本美術家連盟会員・国際美術家連盟会員・大阪芸術大学非常勤講師 その他、たくさんの経歴をお持ちの 河南町の中島 裕司(ナカジマ ヒロシ) 先生です。 先日のブログの投稿時、先生のお名前を間違えてしまいました。先生をはじめ、周りの皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しました。訂正して、お詫び申し上げます。
ずっと以前から、神社の由緒を氏子崇敬者の皆様に知っていただけるような絵馬を作りたいなと思っていました。昨年の暮れに、作者の中島先生とご縁をいただき、無理をお願いしまして、格調高い馬上の 紀貫之 の姿を描いて頂きました。 大変、立派な絵馬に仕上がりました。神社に御参詣の折に、ご覧になって下さいませ。
では、蟻通神社は、なぜ、平安時代の歌人
「 紀貫之 」と縁があるのでしょうか?
〔答え〕 蟻通神社の創祀は、九十三年といわれています。戦前の強制移転の前は、熊野街道沿いに鎮座していました。
平安時代の歌人「紀貫之」が、神社の前を乗馬したまま、通過しようとした非礼を神が咎めて、馬が病で倒れました。
その時、通りかかった人(宮守り)から蟻通の神に祈るように勧められたが、弊がなかったことから、歌を詠んで奉納しました。
その結果、馬の病気が、治り「紀貫之」は、無事に帰ることができました。
その時に詠んだ歌が以下のものです。 かきくもり あやめも知らぬ 大空に ありとほしをば 思うべしやは
注釈:かきくもり、ものの区別もつかぬ闇のような大空に、星があるなどと思うはずがあろうか。「ありとほしをば」には、「ありと星をば」すなわち「星をば大空にありと思うべしやは」の意と、
「蟻通し(の神)をば」の意とを掛け、闇空に星があるとは思えないということと同時に、こんな無体な仕打ちを、蟻通の神がなさろうとは思えない、の意を表す。
紀貫之「貫之集 第九」 新潮日本古典集成より
この故事により、当時は、立派な社殿もなく鬱蒼とした杜であっただろう小さな神社が、いろいろな古典文学に取り上げられました。「枕草子」や「謡曲 蟻通」 等々です。 蟻通神社に、平安時代の大変有名な高貴な歌人がお立ち寄りになられたということが、その後の神社の繁栄に、大いにつながっています。 蟻通の神様のご神徳があったのだろうと思っています。神社の由緒を氏子崇敬者の皆様にもっと、お伝えしていかなければならない義務があるなと思い、「紀貫之」の絵馬を作らせて頂きました。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月25日
ひな祭りについて その2
<男びなと女びなの並び方> 皇室では、伝統的に天皇様が向かって右に立っていましたが、西洋の方式が入ってくると、向かって左に天皇様、右に皇后様が立つようになられました。
それにならって、向かって左に男びな、向かって右に女びなを飾るということになったそうです。古来の伝統が残る関西では、向かって右に男びな、左に女びなを飾る風習が残っているそうです。必ずこうしなければならないというものではなく、各家庭のしきたりで、飾ればよいようです。
幼いころに、童謡の「うれしいひなまつり」をよく歌いました。その中の歌詞に、「お内裏様とお雛様」と出てきますが、本来は、男びなは、「お殿様」、女びなは、「お姫様」と呼ぶのだそうです。
ひな祭りは、平安時代の「上巳の祓」や「ひいな遊び」が一体となり、やがてひな祭り(桃の節句)として日本の季節を味わう行事として、長く伝承されてきました。
現代では、神事としての意味は薄れましたが、私たちの生活に、季節を感じさせてくれ、潤いや楽しみを与えてくれるものなのだなと思います。 参考文献:朝日新聞・日本人形協会の記事
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年02月22日
雛祭りについて
<三月三日は、ひな祭りです。> 正式には、上巳(じょうし)の節句といい、五節句の一つです。上巳とは、「旧暦三月の上旬の巳の日」のことであります。 古来中国では、この日、川で身を清め、不浄を祓う招魂の行事が行われていたそうです。これが平安時代にとりいれられ、宮中では、曲水の宴を張り、祓を行うようになりました。 やがて、曲水の宴は、すたれましたが、上巳は巳の日の祓として貴族の間に定着していきました。これを「上巳の祓」として陰陽師に祓をさせ、人形で身体をなでて、これを川に流す行事が貴族を中心に行われていました。
このような人形を川に流す習慣は、現在、各地で流し雛として残っています。 上巳の祓は、江戸時代以降ひな祭りとして、急速に庶民の間にも広まり、やがて飾られる人形も数が増え、華やかになり、女子の健やかな成長を願う祭が、にぎやかに行われるようになりました。
40数年前の雛飾り
私が生まれた時に、亡き祖父が買ってくれた雛人形が、40年ぶりに倉庫から出てきました。
豪華なものではないですが、こんなお人形を買ってくれていたのを、大人になって知って、いまさらですが 、孫が生まれてきたことを喜んでくれたのだなと、うれしく思いました。
(念願の男の孫ではなかったので、がっかりしたそうですが)
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年02月22日
<今年は、まだまだ、寒いですね>
<2月14日の大雪にびっくり!>
あれで、大雪 というと雪国の方に、叱られるかもしれませんね。でも、このあたりでは、お昼間にあんなに積もることは、私の四十ン年間の人生の中でも、記憶にないのです。(きちんと調べたわけでは、ありません。すみません) 夕方の帰宅ラッシュで、道路は、大混雑でした。私が、いつもは20分で自宅まで帰る道程が70分もかかったり、羽倉崎から阪南市の海側まで、5時間かかったり、泉佐野市から和歌山まで夕方出て、夜中になったなどという大変な一日でした。世間では、バレンタインデーだったのに、それどころでは、ないなあーという日でした。 皆様、お疲れ様でした。 自然の前では、人間の力は、小さいものなんだなと改めて思いました。 「神社神道について」 神道は、仏教やキリスト教のように特定の創唱者を持っていません。 日本において、民族の形成過程で自然発生的に形成された宗教です。八百万の神々といわれるように山のカミ、川のカミ、海のカミなど自然の中のあちこちに神が潜んでいます。 古代の人々は、自然の脅威というものを今の私たちよりももっと痛切に感じていたのかも知れないです。 神道は、人々の暮らしと日常的に密接にかかわってきて、いろいろな宗教や文化の影響を受け、変容の歴史を重ねて、現在の私たちの暮らし習俗・習慣の中にも親密に溶け込んでいます。
だから、神社神道は、あまりにも身近すぎて、宗教と感じられることが少ないのです。
しかし、国際化、グローバル化が進んだ現代の社会の人々に、もっと神社神道の宗教文化を、理解していただいて、信仰を深めて頂く様に神職の私たちが、勉強して、努力しないといけないと思っています。
今年、2度目の積雪
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年02月16日