<旧郷社 蟻通神社史資料>
移転前の神社の様子を知る資料として、大阪府史蹟調査委員でいらっしゃった池田谷久吉先生が取りまとめて書いて下さった資料が残っています。
先代宮司の祖父の友人だったそうです。ちなみに祖父は、明治27年生まれです。昭和17年に、お願いをして書いていただいたようです。本当に詳細に書かれていて、貴重な資料となっています。私は、なかなか全ページを読みこなせていませんが、この資料をいつか復刻したいなと思っています。
池田谷先生が最後に書いて下さった文章を、一部省略して抜粋させて頂きます。
『蟻通神社宮司木戸松太夫君とは佐野小学校時代の竹馬の友である私は学生時代此の附近では一番好きなところであった。
四ツ池の塔から見たその杜、裏参道の常緑、ひる尚暗き茂みの中に丹塗りの門、その前に立ち並ぶ石燈群、何遍か水彩に油に拙き筆に描いた事であろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・
紀州街道によって社頭を過ぎる度に冠の渕を見る度に貫之を想ひ神秘な物語があの松ヶ枝に碑のかげに蔵されていることを思はないことはない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 思へばかぎりなきなつかしの思ひ出も今日を界として幕を閉じることとなった。 ・・・・・・・・・・』
書かれている文章を読みますと、その頃のことを知らない者でも、頭の中に風景が浮かんでくるようです。古来から存続してきた神社を移転させなければならなかった祖父をはじめ神社や村の関係者の方々の無念は、計り知れないものがあっただろうと思われます。
神社に、時折、遠方から参拝して下さる方がいらっしゃいます。先月5月の連休中には、埼玉県からお母様と息子さんお二人でご参拝されました。「どこか、関西の観光の途中ですか?」と尋ねますと「蟻通神社がメインで、来ました。」というお答えでした。 当神社が息子さんの学校の教科書に載っていたそうで、わざわざ遠いところまで来て下さいました。ありがたい気持ちと、現在は、本来の場所から移転しているので、申し訳ない気持ちとでいっぱいでした。神社に従事する者として、貴重な資料を大切にして、昔の面影を受け継いで、歴史を伝えていかなければならないなと思いました。
参考資料:昭和17年10月製作 |
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月01日 |
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