<言葉について>
震災から2ヶ月となりました。新聞やテレビでは、今、現在でもがれきの山が残っていたり、避難所で生活をされている方々がたくさんいらっしゃったり、原発問題も終息までまだまだという報道が続いています。
震災の直後は、普通に暮らしている自分が、申し訳ないような毎日でした。でも今は、元気でいられる者が、力を蓄えておいて、被害に遭われた方たちに、各自がそれぞれでできるご支援をすることが、大切なのだなと思っています。
テレビのCMでおなじみになった、金子みすゞの詩やネットで配信されていた宮沢賢治の詩など、きれいな言葉・優しい言葉・心地よい言葉が持つ力は本当に大きいなと感じました。しかし、震災の直後は、被害に遭われた方も報道等で見ていた人も言葉を失いました。人間の想像をはるかに超えたものに対して、出てくる言葉というものはないのだなということも知りました。
神道は、”言葉”の宗教ではありませんでした。創唱宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教は、創唱者の”言葉”によって教団が発生し、経典が作られ、協議が形成されました。
神道は、自然発生的に形成された宗教です。長い歴史において神道を言葉で説明するという営みは、きわめてまれな現象でした。神道の起源は、弥生時代頃と言われています。弥生時代、日本で、米・あわ・麦などの五穀が栽培されるようになり、穀物が稔るかどうかは、日本人の生活の中では、重大問題でした。その五穀豊穣を神々に祈ることが日本人の生活を構成する一部分となりました。
春祭りは、豊作を祈願し、秋祭りは、豊作を感謝し、その祭に参加することは、しごく当然のことであり、また義務でもありました。神道は、日本人の生活と密接なつながりをもっていました。よって、神道を言葉で説明をする必要がほとんどなかったのです。
しかし、第二次世界大戦後、神道は、大きな変革をしなければならなくなりました。高度経済成長による産業構造の変化、農業人口の激変や核家族の増大などで稲の豊作・凶作に一喜一憂する方の数は、減りました。春の祭・秋の祭・農業と結び付いた祭の本来の意味・意義を理解して参加してくださる人の数も少なくなっていると思います。
そういう現代社会において、神社神道も「神道とは何か」を言葉で、お伝えし始めているのかなと思います。今、私がしているブログやホームページを作られている神社、神道の本・雑誌などもよく見かけるようになりました。
ただ、私自身ブログをしていて、言葉を発信するということは、自分の中身が問われ、勉強をしないと書けないということを、痛感しています。
参考文献:「神道とはなにか」 阿蘇谷 正彦著 ぺりかん社発行 |