※旧新川家での出発前のご説明 たくさんの方が参加されました。
※貝の池の堤防から滑走路のあった方。 貝の池は、戦中、飛行機の離着陸の邪魔になるため、土手を削りとられたそうです。 ※旧蟻通神社碑 神社のご本殿始め、施設全部が強制移転を余儀なくされました。移転がなかったら、この近辺を紀貫之や、平安時代の熊野詣での人々が歩いていた歴史をそのまま体感できたのにと、大変残念に思います。 ※飛行場正門の石柱 旧飛行場の南中安松側の正門の石柱、長滝の方の門柱は、残っていない。
泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家)に貴重な資料がいろいろ展示されていました。今日、初めて飛行場の跡地のほぼ全外周を、見学させて頂き勉強になりました。
陸軍の命令により、蟻通神社をはじめ、農地、民家、墓、集落、ため池などたくさんのものをつぶして作られた広大な飛行場だったのだなと実感しました。 この強制移転により、生活を変えなければならなかった方々の被害は、大変だったのだろうと思いました。戦後、65年が経ちますが、この戦争の傷跡の歴史を忘れずに、後世にも残していってほしいです。 本日は、新川塾のスタッフの方々に大変お世話になりまして、ありがとうございました。 |
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2010年09月18日 |
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