<祈年祭(きねんさい)とは?>
このブログを入力しようとした途端、「宮城県沖で強い地震が発生した」とニュースが報じました。 被災地の方々にとっては、もういい加減にしてほしいと、本当に腹立たしいお気持ちだろうと思います。 大きな被害のないことをお祈りいたします。
祈年祭とは、『としごいのまつり』 ともいいます。十一月の収穫感謝祭である新嘗祭(にいなめさい) と対になる形で、古くから重要な祭祀とされてきました。 二月十七日に五穀豊穣と国家安泰を神々に祈る祭りであり、宮中や伊勢の神宮をはじめ、全国各地の神社においておこなわれていました。 奈良朝以来の律令制下では、規定されている祭祀に際して、全国の神社(官社)に幣帛(へいはく)がお供えされていました。各神社では、それぞれの祭祀により幣帛の有無や、内容の差異がありましたが、特に祈年祭の場合に限り、重要な祭祀として、総ての官社に幣帛が捧げられています。 平安時代中期成立の『延喜式神名帳』には、官社として2861社の神社が掲載されています。 延喜式には、祈年祭で供える幣帛の品目も挙げられており、布帛や、弓、楯、酒、干し肉、海藻などさまざまな奉献物が供えられていたようです。 また祭にあたり、厳重な物忌(斎戒)が求められており、大嘗祭を除き、最も重要な祭となっています。 その後、律令制の衰微や戦乱などにより、祈年祭の執行も大きな影響を受けましたが、明治初年の神祇官復興に至り、再び重要な祭祀として位置付けられています。
参考文献:「神道いろは」神社新報社 |
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年04月08日 |
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