「節分行事について」
一年を二十四に分ける節気のうち四季の節目をさす、立春・立夏・立冬のうち、特に冬(陰)から春(陽)に移り変わる立春が、節気による正月節として重視されたため、一般的には立春の前日を節分と呼んでいます。
節気と旧の歴月では差異があり、旧暦でみると、十二月中旬から一月中旬までの時期に節分が廻ってきます。 また、現行暦によると二月三日、四日がこれに当たり、この日には、一年間の無病息災を祈る節分行事が行われます。 この行事は、古くは、中国で行われていたものであり、日本に伝来した当初は、大儺(たいな)と呼ばれていました。 文武天皇の御代に、全国で疫病が蔓延したため、宮中で初めて大儺が執行されました。 その後、疫病の原因と考えられた鬼(陰)を追い払うために、歴月による十二月晦日に行われました。 当時の大儺は、儺人と呼ばれる役目の人が、仮面を付け、「鬼やらう」と歓呼しながら目に見えぬ鬼を追うものでした。やがて、大儺から追儺へと名称が変わるにつれ、本来鬼を追う儺人が、鬼のような面を付けていたため、逆に目に見える鬼として追われるようになりました。 室町時代以降、神社や民間でもこれに倣い、現在のように節分の日に定めて、豆を撒きながら鬼をはらい、福を迎える祭事として行われるようになりました。
参考文献:「神道いろは」 |
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月19日 |
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