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蟻通神社ブログ

 本殿の左右にあるお社について

<本殿左右のお社について、blueroseさんにコメントを頂きました。>

 蟻通神社の氏子地域である長滝村は、古来より氏神や寺院のほかに、路傍の石仏や小祠小堂など数多くの小さな祭祀対象物が存在していました。

 しかし、これらの多くは明治40年代の神社合祀、さらに、昭和17年(1942)の飛行場の設置によって、氏神の蟻通神社を始め、多くの祭祀物が移動、合祀、廃社を余儀なくされました。

 長滝には、社寺や庄屋の家に多くの古記録、古文書が伝わっていますが、こういった文献資料には、現在は消滅し、伝承すら途絶えた小祠の存在が記されています。

 長滝には、番や隣組の他にも小路に面した家々が所属する小路(しょうじ)という集団が存在しています。かつては、それぞれの小路に小祠がありましたが、明治40年に蟻通神社へ全ての小祠が合祀され、摂社となりました。しかし、再びもともと鎮座していた場所に勧請され、現在でも小路の神として祀られているお社もあります。

 「小路」には祭祀集団としての性格と地縁的な区分としての性格が存在しているのだそうです。
天保8年(1837)の「長滝村絵図」(新修泉佐野史第13巻掲載)に、当神社本殿左右にある、お社のそれぞれの名前が載っております。


1.本殿右側(山手側)のお社について


  「天野神社」・ 「丹生神社」・「高木神社」・「白髭神社」をお祀りしております。
 
 ・「天野神社」は、一旦、明治40年に蟻通神社に合祀されましたが、再び小路に戻され、現在も昔のままの場所に鎮座して札場小路の氏子の皆様の宮座によってお祀りされています。
 「ご祭神」は、丹生津比賣命です。

 ・「丹生神社」「白髭神社」は享保14年の神社所蔵文書や天保8年の絵図には、記載されています。蟻通神社に合祀された後は、元の場所には戻らなかったようです。ご祭神は、不明です。
 
 ・「高木神社」については、詳細は不明です。


DSC01279.jpg
       本殿の右側(山手側)
  天野神社・丹生神社・高木神社・白髭神社




2.本殿左側(海手側)にあるお社について

 ・「中之宮神社」・「牛頭天王社」です。

 中世末、泉南地方は紀伊国根来寺の勢力圏に入ります。長滝荘は鎌倉武士の木戸(山内)氏が押領として在地の軍事・警察権を握っていました。同氏は、1509年、根来寺衆徒長、長滝荘惣分代官、蟻通明神・大井関明神の目代を根来寺から任命されています。

 中之宮神社はこの山内(木戸)氏の氏神であったと伝えられています。中之宮神社も明治40年に蟻通神社に、一旦合祀されましたが、再び元の場所に勧請され、昔の場所に鎮座しています。

 現在は、宮小路の氏子の皆様の宮座によってお祀りされています。
 「ご祭神」は不明です。

 ・「牛頭天王社」も一旦、蟻通神社に合祀されましたが、現在は、中之宮境内社として元の場所で  お祀りされています。

DSC00504.jpg
       本殿の左側(海手側)
      中之宮神社・牛頭天王社


参考資料:長滝の民俗(泉佐野市史編纂委員会)










お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2012年03月31日

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