蟻通神社ブログ
8月1日
<旧暦8月1日は、八朔(はっさく)といいます。> 境内は早朝から蝉の大合唱で、目覚まし時計が要らないくらいです。8月1日は、古く農家では、その年に取り入れた新しい稲などを、主家や知人などに贈って祝い、同時に豊作祈願・予祝などの行事を行いました。
のちに、この風習が、町家でも流行し、この日に上下貴賎それぞれ贈り物をする習慣を生み、祝賀と親和を表すようになったそうです。 鎌倉後期より、武家社会でもこの風習が取り入れられ、江戸時代には、徳川家康の江戸入城が天正18年8月朔日だったことから、幕府の重要な式日となりました。諸大名や直参旗本は白帷子を着て登城し、将軍家へ祝詞を申し述べる行事が行われました。
8月1日ごろは子どもたちにとっては、夏休みの前半は終わりましたが、まだまだあと1か月、楽しい楽しい夏休みが残っています。神社には、蝉捕りに来られる子どもさんの姿を見かけます。しかし、巷で言われるように外で遊んでいる子どもの姿は本当に少なくなりました。
いろいろな要因があるのだとは思いますが、虫捕り網やカゴなどを持って走り回っている子どもの声が聞こえないのは、何だか淋しいものですね。
参考文献:現代こよみ読み解き事典・柏書房
アブラゼミ発見!近頃少なくないですか?
クマゼミは、たくさんいました。
先日、お近くに住む方が、きれいな模様の鯉を奉納して下さいました。ありがとうございました。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年08月02日
蟻通神社境内にある智恵神社について
<境内の東側に鎮座しています。>
●智恵神社(智恵神さんと呼ばれています)●ご祭神・・・蟻通明神の分霊を勧請●ご神徳・・・学業成就・智恵・親孝行・の守護神
この智恵神さんは、蟻通神社の氏子さんでいらっしゃった、大阪教育大学名誉教授で文学博士の芝野庄太郎先生が昭和57年5月に創祀してくださいました。 芝野先生は、残念ながら数年前にお亡くなりになられたのですが、当神社発展のために大変ご尽力下さいました。
●芝野先生がお書きになられた、智恵神の社殿創祀 表白文です。
『 蟻通大明神は済世利民の誓願に則り、当地に鎮座ましましてよりここに二千年、御威徳のもと氏子は恩恵に浴し、生活は愈々繁栄して今日の隆昌を迎う。
本日蟻通大明神の智恵親孝行の分霊を勧請してここに祀る。栴檀(せんだん)は双葉より香ばしく、三ツ子の魂は百までと言えり。
されば誕生の忌あき参り(初宮参りのことです)、七五三の祭、十五歳の立志式、二十歳の成人式に学業の成就を祈り心身両面の健全な発達のあらしめんことを祈り奉る。
いまや国際的、国内的に変化激しく、生涯にわたって学習すべき時代となる。学業にすぐれ、業務に熟練すべき智恵を授けたまわんことを。
更に請い願わくは、家庭は、核家族にして高年齢化の構造となり、老人福祉と親孝行が求められる社会なれば、老人を敬し孝養の誠を尽し、家門の繁栄と各願成就の利益を垂れ給わんことを。
更に仰ぎ願わくは東西南北の経済摩擦をなくし、核兵器を廃絶し、世界は平和にして、二度と戦争の惨禍なく、万民に幸福なる日々の生活を送らしめ給わんことを祈り奉る。 昭和五十七年五月一日 蟻通神社 氏子 大阪教育大学名誉教授 文学博士 芝野 庄太郎 敬 白 』
大変立派な文章で、先生の高潔で信心深いお人柄が表れています。今から28年前に書かれた文章なのですが、その当時に高齢化社会や世の中がグローバル化していることや核の問題など正に現代社会が直面している問題を先見の明で見抜かれていたのはさすが先生だなと感服いたします。 ●智恵神社です
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月23日
四社の末社さんの修繕が終わりました。
<足もとも、きれいになりました。>
智恵神社や末社さんの足元の敷石が、樹木の根が成長して押し上げられ、傾いていました。 そのため、ご参拝の皆様には、ご迷惑をおかけいたしておりました。今回、敷石を一旦掘り出して、平らになるように整備していただきました。 末社さんの周りがきれいになりましたので、どうぞご参拝くださいませ。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月12日
蟻通神社の摂社・末社の続き
<現在、修復中です。>
智恵神社以外の四つのお社が、少々傷んでまいりましたので、只今修繕させて頂いております。ご参拝の皆様には、ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。 現在の四社ある末社さんは、移転前の昭和10年1月に工事竣工されたものです。それより前のお社は、昭和9年9月21日の台風で被害にあって、破損したようです。そのときに境内の樹木もたくさん倒木したそうで、その木を使用して、現在の末社さんを建てて頂きました。
●移転前(旧社地)の四社の末社さん
生えている樹木が、今よりもはるかに背が高いのがわかります。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月06日
神社の摂社、末社について
<境内にある小さなお社>
摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)も本社に附属する神社ですが、現在では、特に両者を区別する規定はなく、本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられています。
戦前の旧官国弊社においては、摂社と末社を区別する基準が設けられました。 摂社に該当する条件として、まず、本社御祭神の荒御魂や后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や地主神など特別な由緒がある社となっていました。
こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は、末社より上位に置かれていました。 現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には、摂社の呼称が用いられています。 摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境内外社といった区分もできます。
蟻通神社の境内地の東側に摂・末社が祀られています。本殿に近い方から、智恵神社・愛宕神社・多賀神社・住吉神社・和泉五社という順に並んでいます。また、太鼓橋を渡って本殿に近い方から、弁財天社・足神神社となっています。
境内にある摂・末社です。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月06日