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蟻通神社ブログ

蟻通神社境内にある智恵神社について
<境内の東側に鎮座しています。>

●智恵神社(智恵神さんと呼ばれています)
●ご祭神・・・蟻通明神の分霊を勧請
●ご神徳・・・学業成就・智恵・親孝行・の守護神

 この智恵神さんは、蟻通神社の氏子さんでいらっしゃった、大阪教育大学名誉教授で文学博士の芝野庄太郎先生が昭和57年5月に創祀してくださいました。
 芝野先生は、残念ながら数年前にお亡くなりになられたのですが、当神社発展のために大変ご尽力下さいました。

●芝野先生がお書きになられた、智恵神の社殿創祀 表白文です。

『 蟻通大明神は済世利民の誓願に則り、当地に鎮座ましましてよりここに二千年、御威徳のもと氏子は恩恵に浴し、生活は愈々繁栄して今日の隆昌を迎う。

 本日蟻通大明神の智恵親孝行の分霊を勧請してここに祀る。栴檀(せんだん)は双葉より香ばしく、三ツ子の魂は百までと言えり。

 されば誕生の忌あき参り(初宮参りのことです)、七五三の祭、十五歳の立志式、二十歳の成人式に学業の成就を祈り心身両面の健全な発達のあらしめんことを祈り奉る。

 いまや国際的、国内的に変化激しく、生涯にわたって学習すべき時代となる。学業にすぐれ、業務に熟練すべき智恵を授けたまわんことを。

 更に請い願わくは、家庭は、核家族にして高年齢化の構造となり、老人福祉と親孝行が求められる社会なれば、老人を敬し孝養の誠を尽し、家門の繁栄と各願成就の利益を垂れ給わんことを。

 更に仰ぎ願わくは東西南北の経済摩擦をなくし、核兵器を廃絶し、世界は平和にして、二度と戦争の惨禍なく、万民に幸福なる日々の生活を送らしめ給わんことを祈り奉る。
  
  昭和五十七年五月一日
                      蟻通神社  氏子
                      大阪教育大学名誉教授
                      文学博士
                           芝野  庄太郎
                                敬 白   』

 大変立派な文章で、先生の高潔で信心深いお人柄が表れています。今から28年前に書かれた文章なのですが、その当時に高齢化社会や世の中がグローバル化していることや核の問題など正に現代社会が直面している問題を先見の明で見抜かれていたのはさすが先生だなと感服いたします。

      ●智恵神社です
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お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月23日



四社の末社さんの修繕が終わりました。
<足もとも、きれいになりました。>

 智恵神社や末社さんの足元の敷石が、樹木の根が成長して押し上げられ、傾いていました。
 そのため、ご参拝の皆様には、ご迷惑をおかけいたしておりました。今回、敷石を一旦掘り出して、平らになるように整備していただきました。
 末社さんの周りがきれいになりましたので、どうぞご参拝くださいませ。

DSC00005.jpg
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月12日



蟻通神社の摂社・末社の続き
<現在、修復中です。>

 智恵神社以外の四つのお社が、少々傷んでまいりましたので、只今修繕させて頂いております。ご参拝の皆様には、ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。
 現在の四社ある末社さんは、移転前の昭和10年1月に工事竣工されたものです。それより前のお社は、昭和9年9月21日の台風で被害にあって、破損したようです。そのときに境内の樹木もたくさん倒木したそうで、その木を使用して、現在の末社さんを建てて頂きました。

●移転前(旧社地)の四社の末社さん

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 生えている樹木が、今よりもはるかに背が高いのがわかります。



お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月06日



神社の摂社、末社について
<境内にある小さなお社>

 摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)も本社に附属する神社ですが、現在では、特に両者を区別する規定はなく、本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられています。

 戦前の旧官国弊社においては、摂社と末社を区別する基準が設けられました。 摂社に該当する条件として、まず、本社御祭神の荒御魂や后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や地主神など特別な由緒がある社となっていました。

 こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は、末社より上位に置かれていました。
 
 現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には、摂社の呼称が用いられています。 
 摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境内外社といった区分もできます。

 蟻通神社の境内地の東側に摂・末社が祀られています。本殿に近い方から、智恵神社・愛宕神社・多賀神社・住吉神社・和泉五社という順に並んでいます。また、太鼓橋を渡って本殿に近い方から、弁財天社・足神神社となっています。

  境内にある摂・末社です。
P4160360.jpg


参考文献:『神道いろは』
 

お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月06日



移転前の蟻通神社の様子
<旧郷社 蟻通神社史資料>

 移転前の神社の様子を知る資料として、大阪府史蹟調査委員でいらっしゃった池田谷久吉先生が取りまとめて書いて下さった資料が残っています。

 先代宮司の祖父の友人だったそうです。ちなみに祖父は、明治27年生まれです。昭和17年に、お願いをして書いていただいたようです。本当に詳細に書かれていて、貴重な資料となっています。私は、なかなか全ページを読みこなせていませんが、この資料をいつか復刻したいなと思っています。

 池田谷先生が最後に書いて下さった文章を、一部省略して抜粋させて頂きます。

 『蟻通神社宮司木戸松太夫君とは佐野小学校時代の竹馬の友である私は学生時代此の附近では一番好きなところであった。

 四ツ池の塔から見たその杜、裏参道の常緑、ひる尚暗き茂みの中に丹塗りの門、その前に立ち並ぶ石燈群、何遍か水彩に油に拙き筆に描いた事であろう。     ・・・・・・・・・・・・・・・

 紀州街道によって社頭を過ぎる度に冠の渕を見る度に貫之を想ひ神秘な物語があの松ヶ枝に碑のかげに蔵されていることを思はないことはない。     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思へばかぎりなきなつかしの思ひ出も今日を界として幕を閉じることとなった。  ・・・・・・・・・・』

書かれている文章を読みますと、その頃のことを知らない者でも、頭の中に風景が浮かんでくるようです。古来から存続してきた神社を移転させなければならなかった祖父をはじめ神社や村の関係者の方々の無念は、計り知れないものがあっただろうと思われます。

 神社に、時折、遠方から参拝して下さる方がいらっしゃいます。先月5月の連休中には、埼玉県からお母様と息子さんお二人でご参拝されました。「どこか、関西の観光の途中ですか?」と尋ねますと「蟻通神社がメインで、来ました。」というお答えでした。
 
 当神社が息子さんの学校の教科書に載っていたそうで、わざわざ遠いところまで来て下さいました。ありがたい気持ちと、現在は、本来の場所から移転しているので、申し訳ない気持ちとでいっぱいでした。神社に従事する者として、貴重な資料を大切にして、昔の面影を受け継いで、歴史を伝えていかなければならないなと思いました。


参考資料:昭和17年10月製作
      『郷社蟻通神社史資料
        池田谷 久吉編



お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年06月01日



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