蟻通神社ブログ
神社の花々
<境内の 梅 のつぼみがほころび始めました。>
細い梅の木ですが、立派に実を付けます。 白 梅です。
神社役員さんのお家の水仙を頂いて、活けました。 厳しい寒さだったので、例年よりも、 お花の咲くのが、遅いようです。 水仙の花が咲くと、本当に春が近づいてきたのを感じますね。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年02月05日
昨日は、節分祭でした。
<蟻通神社の、節分祭の様子>
昨日の節分は、風もなく、暖かい良いお天気でした。 今年始めての試みで、竹灯篭を150本を参道や、境内に並べてろうそくを灯しました。 大晦日は、強風のため、ろうそくの火が、点けたそばから消えていったのですが、 今回は、最後まで、消えることなく、暖かい光を灯してくれました。
ご参拝に来て下さった方々が、 ”幻想的な雰囲気でとても良かったよ” とおっしゃって下さったのがうれしい限りです。 神社の役員さん方が、境内に生えている竹を切ってご苦労されて作って 下さったのですが、 ご参拝の皆様に喜んで頂けたことが、なにより良かったなと思います。
北側の鳥居
南側の鳥居
社務所前
能舞台 足神神社の仏足石
竹灯篭が美しいです。
弁財天社
南側参道
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年02月04日
<竹灯篭>
<2月3日の節分には、竹灯篭を灯します。> 今日、2月1日は、年末から続いた、厳しい寒さがようやく、終わるような気配です。
日の入りも徐々に遅くなり、新聞によりますと大阪では、17時28分だそうです。
旧暦では、明日、2月2日は12月30日で、3日が旧暦の大晦日、節分ということになります。
2月4日が二十四節季のひとつ、「立春」で、旧暦の正月、この日を一年の始めとしていました。
「春立つ」「春来る」などとともに、春の代表的な季語になっています。
今年は、本当に気温が上昇し、春の気配を感じさせてくれますね。
「立春」は、雑節の基準日で、八十八夜・土用・二百十日などを起算するもととなっています。
参考文献:現代こよみ読み解き事典(柏書房)
3日の節分祭は、天気予報によりますと、
穏やかな日となりそうなので、
蟻通神社の方へ、お参りにお越しくださいませ。
竹灯篭や石灯篭にろうそくを灯す予定です。 <役員さん手づくりの竹灯篭>
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年02月01日
<厄祓いについて>
「人生儀礼 厄年」
厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、対社会的にもそれぞれ転機を迎える時であり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。
その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う厄祓いの儀(厄除け)がおこなわれます。
厄年の年齢は、「数え年」で数え、地域によっては多少異なります。
男性 二十五・四十二・六十一 歳
女性 十九 ・三十三・三十七 歳 とするのが代表的であります。
この年齢の前後を前厄・後厄と称します。この中でも男性:四十二歳、女性:三十三歳を大厄として、特に意識することが多いようです。
厄年が信じられてきたのは、厄月・厄日とともに室町時代からのもので、その根拠の一つとなったのは、陰陽五行思想であります。
迷信的な要素が強いという理由で、識者のあいだでは、排斥するむきもありますが、医学的見地から合理性があるという意見もあります。
ちょうど、先日のNHKの番組で、男性の四十歳台頃から、身体のミトコンドリア(若さを保つ素らしいです。)が、減少していくとうテーマで放送されていました。ただし、ミトコンドリアは、自身の生活態度で、増えるらしいです。
本来、厄年は長寿を祝う還暦(六十一歳)や古希(七十歳)などの年祝いと同じく、晴れの年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、宮座(みやざ)への加入や神輿担ぎなど、神事に多く関わるようになります。
このため、心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌(ものいみ)に服する必要があったわけです。
厄年の「厄」は、神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのも、こうした理由によるものです。
現在では、災難が多く生じる面が強調され、その禁忌の感覚が強くなりましたが、七五三や成人式、年祝いなどとともに、人生における通過儀礼として、大切に考えられていることには変わりないようです。
参考文献:「神道いろは」 神社本庁教学研究所。 「現在こよみ読み解き事典」 柏書房
「宮座:みやざ」について・・・蟻通神社でも古希をお迎えになられた氏子様(男性)が、神社の<社人>に入座され、大勢の方々で組織されています。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月21日
<> <節分について>
「節分行事について」
一年を二十四に分ける節気のうち四季の節目をさす、立春・立夏・立冬のうち、特に冬(陰)から春(陽)に移り変わる立春が、節気による正月節として重視されたため、一般的には立春の前日を節分と呼んでいます。
節気と旧の歴月では差異があり、旧暦でみると、十二月中旬から一月中旬までの時期に節分が廻ってきます。
また、現行暦によると二月三日、四日がこれに当たり、この日には、一年間の無病息災を祈る節分行事が行われます。
この行事は、古くは、中国で行われていたものであり、日本に伝来した当初は、大儺(たいな)と呼ばれていました。
文武天皇の御代に、全国で疫病が蔓延したため、宮中で初めて大儺が執行されました。
その後、疫病の原因と考えられた鬼(陰)を追い払うために、歴月による十二月晦日に行われました。
当時の大儺は、儺人と呼ばれる役目の人が、仮面を付け、「鬼やらう」と歓呼しながら目に見えぬ鬼を追うものでした。やがて、大儺から追儺へと名称が変わるにつれ、本来鬼を追う儺人が、鬼のような面を付けていたため、逆に目に見える鬼として追われるようになりました。
室町時代以降、神社や民間でもこれに倣い、現在のように節分の日に定めて、豆を撒きながら鬼をはらい、福を迎える祭事として行われるようになりました。
参考文献:「神道いろは」
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年01月19日