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蟻通神社ブログ

「目には青葉・・・」の季節となりました。
<落ち葉がようやく少なくなってきました。>

 現在地には、昭和19年8月に移転してまいりました。元は、氏子の方々の水田や畑だったそうです。移転地を巡っては、様々な問題があったそうですが、氏子の皆様のご尽力で現在の場所に遷らせて頂く事が出来ました。
移転後、60年以上経過し、境内の樹木も神社の杜に生育し、近隣の皆様には、落ち葉でご迷惑をおかけしております。
5月に入り、木々の若葉の緑が鮮やかになってきました。

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    くすのき


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    もみじ


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     梅


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    こんもりとした杜







神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月16日



明日は、まくら祭です。
<泉佐野・日根神社さんのまくら祭がおこなわれます。>

毎年5月4と5日に行われます。古くは、旧暦の4月2日、新暦では、5月8日だったのが、近年になって現在の日に行われるようになりました。

 日根神社は、大鳥、泉穴師、聖、積川と並び和泉国五社の一つにあげられ、またそばを流れる樫井川の守り神として古くから、厚い信仰を集めました。

 樫井川から農業用水を得ている日根野・上之郷・長滝の3地区が交代で祭を担当しています。長滝地区、上之郷地区は、氏神神社との2重氏子ということになります。

 今年は、上之郷地区の皆様の担当です。この祭礼は、全国的にも珍しい、飾り枕を取り付けたまくら幟が活躍するので、まくら祭りとよばれるようになりました。

 今年は、3月11日の東日本大震災のことを配慮されてまくら幟は曳行されず、おみこしだけになりました。明日の朝、日根神社さんを出発して、旧熊野街道沿いの長滝西にある御旅所まで渡御されます。

 昭和33年までは、岡本の船岡山まで渡御していたそうです。古い写真には、神職が、馬に乗って渡御している姿が写っていました。現在は、自動車です。

 明日のお祭りの前に役員さん方が丸一日、お掃除をして下さいました。重労働をして頂いて、ありがとうございました。

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新しい絵馬掛けを作って下さいました。

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樹木の消毒をされています。

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木が多いので、大変です。

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側溝の泥上げをして下さいました。

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溝の蓋を外すだけでも大変な手間です。

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泥や葉っぱがたくさんたまっていました。
とってもきれいになりました。

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ここからは、お旅所の中です。

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玉垣に竹を立てて四垂を付けて下さっています。

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横の道路が旧熊野街道です。

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竹の下枝を掃うのが大変です。

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例年は、この中にまくら幟とおみこしなどが入って神事を行います。そのあと、巫女神楽が舞われるのですが、今年は、神事のみとなります。


神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月04日



今日は、祈年祭でした。
<祈年祭について。続き>

 祈年祭の起源は明らかではありませんが、神代の昔、大地主神の作られた田の苗を御歳神がたたって枯れさせようとしたとき、大地主神が白馬・白猪などを供えて 御歳神を和め奉ったので苗は、再び茂ったという伝説が「古語拾遺」に見えています。

 日本の文化は、稲作を中心とする農耕文化を基盤として成立していて、春には、五穀の豊穣を神に祈り、秋にいたっては、その豊作を神に感謝する基本的な祭祀儀礼が、律令国家確立に伴い国家の祭祀としてとり上げられ、制定されたものとみられています。
 祈年祭のことを「トシゴイの祭」ともいいこの場合、「トシ」は穀物のことを指し、穀物の豊穣を祈る祭という意味です。

 律令体制の衰微していった時代から戦乱の間は、祈年祭の実施を全くみない時代もありました。明治2年に復興され古儀再興に伴い、祭日も2月4日に宮中において頒幣の儀を行い、17日に小祭を持って宮中三殿に祭典を執り行い、また神宮には勅使を遣わされ17日に大祭を行うほか全国官幣社以下の各神社において大祭として行われました。

 しかし、第二次世界大戦後、国家の祭典たる色彩の強い本祭は、全国神社よりその名称は、一時消失し、春祭りとしてその面影を留めていましたが、次第に戦前のように復興していきました。祭日は、各神社の由緒のある日などに行われています。
 伊勢神宮などでは、現在も古儀のままの形で祈年祭を厳行しています。

 「日本書紀」に見える崇神天皇の詔に 『農は、天下の大本なり。民の恃(たの)みて以て生くる所なり。』 とあるように農業は、日本の産業の根幹で、その消長は直ちに国力に響いてきます。

 今回の震災で農地も壊滅的な被害を受けました。また、原発事故により収穫した作物が出荷できないという被害に遭われている多くの方々も。 どんなに働きたくてもそれが叶わないという悔しい気持ち、腹立たしい気持ちをたくさんの方がお持ちだろうと思います。

 豊作を祈るこの祭は、単に農業関係のみの祭ではなく、あらゆる産業の人々が、その職業を通じて国家社会の進展に貢献することを祈る意味に拡大して考えるのがよいと書かれている本がありました。

 今、ご苦労されている方々が、一日も早く元の生活に戻れますように、という気持ちを込めて、今日の祭典に参加させていただきました。

 昔は、農業技術も今より低く、農薬等もなかったので、数年に一度は、凶作に見舞われ、彼岸花の球根などで生命をつないだ人々もあったそうです。
 苦労してきた祖先の血を受け継いで今の世に生を得ているわたしたちは、技術が進み、生活に恵まれているということを、神々と祖先に感謝する気持ちを心の片隅に持ち続けることが大事だなと思います。

参考文献:神道辞典 堀書店発行

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    北側参道

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    桜が見ごろでした。


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    奉納していただいた幟


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   祈年祭が始まる前


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    祈年祭が始まる前
   



神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月10日



桜が咲き始めました。
が咲きだしましたが、昨日、今日の寒さで開花がストップしたようです。>

 境内のは、観光地のような立派な木ではありませんが、咲きだすと春の訪れを実感します。
 可愛らしい花を見ていると、気持ちが和みますね。
  
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   まだ二分咲きくらいです。

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     日なたのタンポポ 

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     ラッパ水仙
  
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     ピンクの椿
  
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     ムスカリ 
  
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       スズラン  
 
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       苔玉を作りました。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月05日



長滝子ども会の皆様の清掃奉仕
<今日、長滝子ども会の皆様が境内をお掃除して下さいました> 
  昨日とは、うって変わって冬に戻ったかのような寒い一日でした。
 日曜日の早朝から長滝中・西・東の番の子ども会の役員さんや子どもさんが広い境内のあちらこちらを一生懸命お掃除して下さいました。
 一人より二人、二人より三人と、人の力というのはありがたいですね。
落ち葉や草やゴミがなくなって、すっかりきれいになりました。
 皆様寒い中、本当にありがとうございました。


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   末社・摂社さんの前 
 

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   蔵の前

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    北の参道

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    社務所の裏です。


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   本殿の中です。

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  本殿の裏側です。


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  冠ケ淵の方です。

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   足神さん

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 子ども会の皆様のおかげで境内から
 こんなにたくさんのゴミがなくなりました。
 ありがとうございました。





神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月03日



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