蟻通神社ブログ
社報が出来ました。
<5月1日付で蟻通神社の社報を発行させていただきました。>
今までは、長滝ご出身の大学教授の先生が書いて下さった由緒書きはあったのですが、神社の現在のご様子をお知らせする機会がなかなかありませんでした。 全国各地のいろいろな神社では、氏子崇敬者の皆様への社報(広報紙)を発行されている所が数々あります。
それを参考にさせて頂いて私どもも、地域の皆様に、もっと神社を身近に感じて頂けたらよいなと考え、町内会の役員様にお願いをして、社報を回覧板で回させて頂きました。
試行錯誤しながらの素人が作った物なので出来栄えはまだまだなのですが、第1号で終わることのないように頑張りたいです。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年05月08日
紀貫之の絵馬の原作者 中島先生の個展に行ってきました。
<日・台芸術家交流四人展 中之島リーガロイヤル1階ホテルギャラリーにて>
今年は、中華民国(台湾)建国100周年だそうです。 芸術を通して台・日の親善交流がさらに深まるようにというテーマで、洋画・陶芸・篆刻・水墨画の芸術家四名の方々の、多彩な作品が展示されていて、目を楽しませて下さいます。作品展の期間は、4月10日までなのですが、芸術にご興味のある方は、是非お出かけください。以下は、撮影の許可を頂きました作品展の写真です。
中島先生製作の蟻通神社の板絵写真に撮って飾って下さいました。テーマ『蟻通伝説』 『帆下松』
テーマ『紀貫之』 『長滝』の地名にちなんで
蟻通神社のコーナーを作って下さいました。
中島先生の作品
中島先生の作品
中島先生の作品
陶芸家 澤田先生の作品
水墨画家 陸橋先生の作品
篆刻 林先生の作品
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年04月09日
四月十日は祈年祭が執り行われます。
<祈年祭(きねんさい)とは?>
このブログを入力しようとした途端、「宮城県沖で強い地震が発生した」とニュースが報じました。 被災地の方々にとっては、もういい加減にしてほしいと、本当に腹立たしいお気持ちだろうと思います。大きな被害のないことをお祈りいたします。
祈年祭とは、『としごいのまつり』 ともいいます。十一月の収穫感謝祭である新嘗祭(にいなめさい) と対になる形で、古くから重要な祭祀とされてきました。 二月十七日に五穀豊穣と国家安泰を神々に祈る祭りであり、宮中や伊勢の神宮をはじめ、全国各地の神社においておこなわれていました。 奈良朝以来の律令制下では、規定されている祭祀に際して、全国の神社(官社)に幣帛(へいはく)がお供えされていました。各神社では、それぞれの祭祀により幣帛の有無や、内容の差異がありましたが、特に祈年祭の場合に限り、重要な祭祀として、総ての官社に幣帛が捧げられています。平安時代中期成立の『延喜式神名帳』には、官社として2861社の神社が掲載されています。 延喜式には、祈年祭で供える幣帛の品目も挙げられており、布帛や、弓、楯、酒、干し肉、海藻などさまざまな奉献物が供えられていたようです。 また祭にあたり、厳重な物忌(斎戒)が求められており、大嘗祭を除き、最も重要な祭となっています。 その後、律令制の衰微や戦乱などにより、祈年祭の執行も大きな影響を受けましたが、明治初年の神祇官復興に至り、再び重要な祭祀として位置付けられています。
参考文献:「神道いろは」神社新報社
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年04月08日
画家 中島祐司先生の個展のお知らせ
<蟻通神社の本殿板絵や絵馬の製作をして下さった 中島 裕司(ナカジマ ヒロシ)先生が個展を開催されます。>
皆様ぜひ、お出かけくださいませ。
個展のパンフレットです。
日時:2011年4月5日(火)〜10日(日) 10:00〜18:00(最終日 17:00まで)場所:リーガロイヤルホテルギャラリー (リーガロイヤルホテル 1F) 〒530−0005 大阪市北区中之島5−3−68 TEL (06)6448−1221 ※JR大阪駅から、ホテルの無料送迎バスがあるそうです。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月26日
蟻通神社オリジナル絵馬が完成しました。
< 紀 貫之 (きの つらゆき) 縁(ゆかり)の絵馬>
原画制作は、日本美術家連盟会員・国際美術家連盟会員・大阪芸術大学非常勤講師 その他、たくさんの経歴をお持ちの 河南町の中島 裕司(ナカジマ ヒロシ) 先生です。 先日のブログの投稿時、先生のお名前を間違えてしまいました。先生をはじめ、周りの皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しました。訂正して、お詫び申し上げます。
ずっと以前から、神社の由緒を氏子崇敬者の皆様に知っていただけるような絵馬を作りたいなと思っていました。昨年の暮れに、作者の中島先生とご縁をいただき、無理をお願いしまして、格調高い馬上の 紀貫之 の姿を描いて頂きました。 大変、立派な絵馬に仕上がりました。神社に御参詣の折に、ご覧になって下さいませ。
では、蟻通神社は、なぜ、平安時代の歌人
「 紀貫之 」と縁があるのでしょうか?
〔答え〕 蟻通神社の創祀は、九十三年といわれています。戦前の強制移転の前は、熊野街道沿いに鎮座していました。
平安時代の歌人「紀貫之」が、神社の前を乗馬したまま、通過しようとした非礼を神が咎めて、馬が病で倒れました。
その時、通りかかった人(宮守り)から蟻通の神に祈るように勧められたが、弊がなかったことから、歌を詠んで奉納しました。
その結果、馬の病気が、治り「紀貫之」は、無事に帰ることができました。
その時に詠んだ歌が以下のものです。 かきくもり あやめも知らぬ 大空に ありとほしをば 思うべしやは
注釈:かきくもり、ものの区別もつかぬ闇のような大空に、星があるなどと思うはずがあろうか。「ありとほしをば」には、「ありと星をば」すなわち「星をば大空にありと思うべしやは」の意と、
「蟻通し(の神)をば」の意とを掛け、闇空に星があるとは思えないということと同時に、こんな無体な仕打ちを、蟻通の神がなさろうとは思えない、の意を表す。
紀貫之「貫之集 第九」 新潮日本古典集成より
この故事により、当時は、立派な社殿もなく鬱蒼とした杜であっただろう小さな神社が、いろいろな古典文学に取り上げられました。「枕草子」や「謡曲 蟻通」 等々です。 蟻通神社に、平安時代の大変有名な高貴な歌人がお立ち寄りになられたということが、その後の神社の繁栄に、大いにつながっています。 蟻通の神様のご神徳があったのだろうと思っています。神社の由緒を氏子崇敬者の皆様にもっと、お伝えしていかなければならない義務があるなと思い、「紀貫之」の絵馬を作らせて頂きました。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月25日