蟻通神社ブログ
巫女神楽の練習
<10月9日(日)本宮の日にお神楽奉納>
毎年、本宮の日、能舞台で小学生の氏子さんの巫女さんがお神楽を奉納してくださいます。今日は、朝から舞台の上で練習をしました。当日は、皆様どうぞご覧においで下さいませ。地車、宮入のため神社の境内は、予想以上にたくさんの人でいっぱいになります。どうぞお気をつけお越し下さいませ。10月9日(日)午前10時30分よりさせていただきます。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年10月01日
産経新聞さんの朝刊に載せていただきました。
<朝刊の記事 & ラジオ放送>
約1週間前の8月11日(木)の産経新聞朝刊・大阪版の紙面に、蟻通神社の記事を載せていただきました。
内容は、画家中島裕司先生が製作してくださった本殿の板絵のことを中心に、蟻通神社の故事・伝説なども詳しく書いて頂いています。新聞記事を見られた、ご近所の氏子さんにも 「記事見たよ〜」 と声を掛けていただきました。
神社で当日の新聞記事を保管しておりますので、ご興味・ご関心のある方は、神社関係者にお声を掛けてくださいませ。
またその日、毎日放送ラジオの人気番組 「ありがとう浜村淳です」 の放送の中で、かの有名な浜村淳さんが、『蟻通神社』のことを話題にして下さったそうなのです。
非常に残念なことに私は、その放送を聴いていなかったのです。しかし、蟻通神社の氏子総代さんやお知り合いの奥様が聴いて下さっていて 「放送されていたよ」 と教えていただきました。
『ありとおし神社?』 ・・・・・どんな字書くの? どこにあるの? いわれは何?などとよく聞かれます。私どもの力不足で神社のことを皆様に知って頂く努力をしてこなかったので当然のことだと反省しております。
今回採り上げていただいたことを励みに、氏子崇敬者の皆様に親しんでいただける神社にしていかなければならないなと、改めて思いました。
最後になりましたが、お世話になりました産経新聞の皆様ありがとうございました。
そして、浜村淳様・スタッフの皆様ありがとうございました。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年08月19日
泉佐野観光ボランティア協会さんのブログ
<大阪府泉佐野市>
泉佐野市は、対岸に関西国際空港があり、山と海に囲まれた自然豊かで、住みやすい街です。歴史ある名所旧跡や現代的な施設などなど、見どころがたっぷりある所です。泉佐野観光ボランティア協会の皆様が、泉佐野のいろいろな場所を紹介されています。
この度、観光ボランティア協会さんのブログに、蟻通神社のブログを紹介していただきました。観光ボランティア協会さんのブログにもアクセスなさって、泉佐野の名所をご覧になって下さいませ。
ブログのURLです。
http://blog.zaq.ne.jp/sanonoeetoko/
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年07月17日
末社さん・その4
<境内にある4つ目の末社さんについて>
4.和泉五社です。● 和泉五社とは 和泉の国は、五畿内の一にして元正天皇2年(716)、河内の国より分かって和泉監を置きます。和泉の国は、大鳥郡(10郷)・和泉郡(10郷)・日根郡(4郷)の三郡・24郷ありました。 第一宮 大鳥郡・・・大鳥大明神 第二宮 和泉郡・・・穴師大明神 第三宮 和泉郡・・・信太聖大明神 第四宮 和泉郡・・・積川大明神 第五宮 日根郡・・・日根大明神
以上が和泉五社の大明神です。 平安時代においては国司は、任国の主要神社に神拝するのが例になっていました。また、諸国国内の神社の管理・祭祀は国司の任務であり必要に応じ奉幣などを行うこととなっていました。
平安時代後期以降に成立した一宮、総社などは、国司の神拝や任務の執行にあたって国内神社の序列化が、起源ではないかと考えられています。また、そうした国司の側の主導で成立したというのでなく、諸国国内において自然発生的に生じた神社の序列を、国司の側が公認したものであろうとする見方もあるそうです。
いずれにしても一宮・二宮・三宮といったその序列は、準公的な一種の社格として機能しましたが、必ずしも固定的なものではなく、神社の勢力が変化したことなどによって入れ替わった例もあるそうです。
第五宮の日根神社は、日根荘の総社で、昔は、日根野村・上之郷村・長滝村・兎田村を氏子に持ち、旧式内社です。
現在は、兎田村は、氏子から抜けています。
長滝・上之郷は、それぞれの氏神神社と日根神社の二重の氏子ということです。その起源は、いつごろからなのか、私の手元に資料がないので詳しいことは分からないのです。
参考資料:「泉佐野の神社めぐり」
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月22日
近つ飛鳥博物館に行ってきました。
<画家中島裕司先生の個展>
「二つの飛鳥」の風景画展が5月29日から6月19日まで開かれていました。自然がいっぱいの美しい風景画が、たくさん展示されていました。
6月22日から6月26日までは、奈良県明日香村の画廊飛鳥で開かれます。
大阪に住んでいながら、近つ飛鳥博物館へ訪れるのは初めてでした。近鉄長野線喜志駅からバスに乗ったのですが、大勢のベテランの山男・山ガールの方たちとご一緒でした。周辺に、山登りのルートがあるのでしょう。 終点の阪南ネオポリス(ネオポリスとは新しい都市という意味だそうです。)で降りると住宅街から途端に緑に囲まれた博物館の入口が見えてきました。 「近つ飛鳥」という地名は、古事記に記載があり、履中天皇の弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものだそうです。
「近つ飛鳥」は今の羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。近つ飛鳥博物館の周辺は、古墳や重要な遺跡・遺物が数多く分布していて、博物館では、大阪府を中心とする古墳時代から飛鳥時代の古墳などの遺跡に調査・研究の成果を分かりやすく展示した古墳とその時代に関する専門博物館だそうです。
建物は、かの有名な安藤忠雄氏が設計され、展示室を上から見ると前方後円墳の形をしているのだそうです。立派で素敵な建物でした。いろいろなイベントも催されていますので、また訪れてみたいなと思いました。
参考資料:近つ飛鳥博物館のホームページより抜粋させていただきました。
ここを左に曲がると両側が高い壁の通路です。
博物館の玄関です。
そびえる塔「黄泉の塔」
ここからは、中島先生の個展会場の写真です。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年06月21日