蟻通神社ブログ
寒ーいひな祭りでしたね。
<桃の節句> 節句は、本来節供と書きます。この「供」という語には、人々がともに同じ飲食を、同じ場において賜る(たまわる)という意味が含まれています。
昔は、山や,川で穢れを祓った後、よもぎなどを採って食事を作り、一同そろって膳を共にしたといわれています。そして、餅やあられには、この季節に特に補給しなければならないデンプンが多く含まれており、それぞれに深い意味が込められています。
桃の節句といわれるのは、桃のお酒や桃の花を供えるところからきているそうです。桃は、古代中国では、邪気を祓う仙木と考えられていたことから、桃の酒を飲む習慣ができたといわれています。 日本でも魔よけとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」とよばれることがあります。また、桃の葉は、汗疹やただれに効き目があり、浴湯に入れたりします。そういえば、桃の絵の描かれた、ハンドクリームなどありますね。 この桃の酒に白酒がそえられたのは、紅白にしてめでたさをあらわしたのかもしれません。 菱餅も雛檀に欠かすことのできないお供え物です。一般的に紅白緑の三層で、この三色にも意味があります。 赤のクチナシが解毒剤。白の菱が血圧降下剤。緑の蓬が造血剤。また、菱餅のひし形は、心臓の形をあらわしたものだという説もあります。 何気ないお供え物の中にも、娘の長命を願う心が込められているのですね。 各お節供ごとにお節供にちなんだ、お供え物があって、それぞれに込められた意味を想像しながら頂くと、行事も思い出深いものになるような気がします。 30年以上前になりますが、小学校の給食で、ひな祭りの日には、菱餅の形をしたゼリーが出てきて、その日の給食の時間は、みんな興奮気味で味わって食べた記憶が残っています。食べ物とつなげると人は、記憶に残りやすいのでしょうか? 参考文献:現代こよみ読み解き事典 柏書房
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月03日
ブログについて
<蟻通神社のブログ、何とか半年続きました。>
一月は、行って、二月は、逃げて、早や三月になってしまいました。 平成22年8月末からこのブログを開設致しました。きっかけは、神社の役員さん方が、蟻通神社の事をもっと知っていただくように努力をしないと、今の現状維持では、駄目だよと背中を押してくださいました。本当は、ホームページを開設したかったのですが、私のパソコンの能力では、まだまだ無理でした。そんな時、ちょうど泉佐野市の商工会議所でブログ開設のセミナーが開かれるチラシを見まして、受講いたしました。
その時の講師の先生が、安田コンサルティングの安田勝也先生でした。非常に熱心で分かりやすいご指導で、素人の私でも出来るという気持ちにさせて下さいました。その時、先生がおっしゃっていらしたのが 、「一番難しいのは、ブログの投稿を続けていくことです。」 でした。 実際に自分がやり始めて、本当に実感しています。忙しい時は、ついつい億劫になり、何日も更新しないまま放置したり、投稿するだけの記事の中身を用意できなかったりでした。最初の頃は、アクセスして下さる方もなく、自分の携帯で検索したり、友達や、身内に無理やり見てもらったりしました。何ヶ月かするうちに、ほぼ毎日どなたかがブログを見て下さっていまして、ブログを更新する意欲を与えてもらっています。
拙いブログで、著作権や肖像権などきちんと調べないままだったり、その他、不安な部分もあって、もっと勉強しないといけないなと思います。
インターネットは、便利で、今の世の中には、なくてはならないものになってしまいましたが、その反面、想像もできない事件や犯罪も起こせる未知の世界のような怖い部分を感じます。私の息子ようなの若い世代になると生まれた時からパソコンが身近にあったので、また感じ方は違うのかもしれません。 ブログを開設するということは、中身に責任を持たないといけないので、自分の神社や地域の事や社会の事などを今までよりも関心を持って調べるようになりました。その点では、ブログを始めて本当によかったなと思います。これからも、できるだけ長く続けていきたいと考えています。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年03月03日
画家 中島祐司先生の個展のお知らせ
<蟻通神社の本殿板絵や絵馬の製作をして下さった 中島 裕司(ナカジマ ヒロシ)先生が個展を開催されます。>
皆様ぜひ、お出かけくださいませ。
個展のパンフレットです。
日時:2011年4月5日(火)〜10日(日) 10:00〜18:00(最終日 17:00まで)場所:リーガロイヤルホテルギャラリー (リーガロイヤルホテル 1F) 〒530−0005 大阪市北区中之島5−3−68 TEL (06)6448−1221 ※JR大阪駅から、ホテルの無料送迎バスがあるそうです。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月26日
蟻通神社オリジナル絵馬が完成しました。
< 紀 貫之 (きの つらゆき) 縁(ゆかり)の絵馬>
原画制作は、日本美術家連盟会員・国際美術家連盟会員・大阪芸術大学非常勤講師 その他、たくさんの経歴をお持ちの 河南町の中島 裕司(ナカジマ ヒロシ) 先生です。 先日のブログの投稿時、先生のお名前を間違えてしまいました。先生をはじめ、周りの皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しました。訂正して、お詫び申し上げます。
ずっと以前から、神社の由緒を氏子崇敬者の皆様に知っていただけるような絵馬を作りたいなと思っていました。昨年の暮れに、作者の中島先生とご縁をいただき、無理をお願いしまして、格調高い馬上の 紀貫之 の姿を描いて頂きました。 大変、立派な絵馬に仕上がりました。神社に御参詣の折に、ご覧になって下さいませ。
では、蟻通神社は、なぜ、平安時代の歌人
「 紀貫之 」と縁があるのでしょうか?
〔答え〕 蟻通神社の創祀は、九十三年といわれています。戦前の強制移転の前は、熊野街道沿いに鎮座していました。
平安時代の歌人「紀貫之」が、神社の前を乗馬したまま、通過しようとした非礼を神が咎めて、馬が病で倒れました。
その時、通りかかった人(宮守り)から蟻通の神に祈るように勧められたが、弊がなかったことから、歌を詠んで奉納しました。
その結果、馬の病気が、治り「紀貫之」は、無事に帰ることができました。
その時に詠んだ歌が以下のものです。 かきくもり あやめも知らぬ 大空に ありとほしをば 思うべしやは
注釈:かきくもり、ものの区別もつかぬ闇のような大空に、星があるなどと思うはずがあろうか。「ありとほしをば」には、「ありと星をば」すなわち「星をば大空にありと思うべしやは」の意と、
「蟻通し(の神)をば」の意とを掛け、闇空に星があるとは思えないということと同時に、こんな無体な仕打ちを、蟻通の神がなさろうとは思えない、の意を表す。
紀貫之「貫之集 第九」 新潮日本古典集成より
この故事により、当時は、立派な社殿もなく鬱蒼とした杜であっただろう小さな神社が、いろいろな古典文学に取り上げられました。「枕草子」や「謡曲 蟻通」 等々です。 蟻通神社に、平安時代の大変有名な高貴な歌人がお立ち寄りになられたということが、その後の神社の繁栄に、大いにつながっています。 蟻通の神様のご神徳があったのだろうと思っています。神社の由緒を氏子崇敬者の皆様にもっと、お伝えしていかなければならない義務があるなと思い、「紀貫之」の絵馬を作らせて頂きました。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年02月25日
ひな祭りについて その2
<男びなと女びなの並び方> 皇室では、伝統的に天皇様が向かって右に立っていましたが、西洋の方式が入ってくると、向かって左に天皇様、右に皇后様が立つようになられました。
それにならって、向かって左に男びな、向かって右に女びなを飾るということになったそうです。古来の伝統が残る関西では、向かって右に男びな、左に女びなを飾る風習が残っているそうです。必ずこうしなければならないというものではなく、各家庭のしきたりで、飾ればよいようです。
幼いころに、童謡の「うれしいひなまつり」をよく歌いました。その中の歌詞に、「お内裏様とお雛様」と出てきますが、本来は、男びなは、「お殿様」、女びなは、「お姫様」と呼ぶのだそうです。
ひな祭りは、平安時代の「上巳の祓」や「ひいな遊び」が一体となり、やがてひな祭り(桃の節句)として日本の季節を味わう行事として、長く伝承されてきました。
現代では、神事としての意味は薄れましたが、私たちの生活に、季節を感じさせてくれ、潤いや楽しみを与えてくれるものなのだなと思います。 参考文献:朝日新聞・日本人形協会の記事
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年02月22日