蟻通神社ブログ
能「蟻通」のストーリー
<5月3日に神社の舞殿で能楽等が奉納されます。>
●能 『蟻通』 について
●作者 『猿楽談儀』に「蟻通 世子作」とあるので世阿弥作と考えられます。
●人物 ワキ 紀貫之
ワキツレ 従者
シテ 宮守
●能柄 四番目物
●典拠 貫之集
●場所 和泉国 蟻通神社
●ストーリー
和歌の名手・紀貫之は、和歌の心の体得を目指して歩む者として、和歌の守り神である紀伊国・玉津嶋神社への参詣を志します。その道中、にわかに日が暮れ、大雨が降り、その上、乗っている馬までが倒れ伏して、どうにもなすすべもなく途方に暮れていました。 そこに傘をさして松明を持った年老いた宮守が現れます。神前の灯火が消えているのを見咎めた宮守は、ここは、蟻通明神の社前であると告げ、「雨夜の暗黒で知らぬこととはいえ、乗馬のまま通り過ぎようとした非礼が祟ったのだ」とときます。宮守は相手が貫之であることを知り、神に対して、和歌を奉納し、詫びるとよいと勧め、歌の徳を説きます。
そこで貫之は、心をこめて「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻通とも思ふべきかは。」と詠みます。 宮守は、その歌に感じ入り、歌のめでたいいわれが述べられ、宮守が馬を引き立ててみると、馬は起き上がり、いななきました。和歌が神慮に通じたのです。
貫之は宮守に祝詞を奏上することを頼みます。求めに応じ報恩の祝詞を捧げ、神楽が舞われます。宮守は実は、蟻通明神の化身であり、貫之の和歌に感じて出現したことを告げて、姿を消します。昇天する神霊を見送った貫之は、喜びの心でなおも神楽を奏し、夜が明けると再び旅の空に立つ身となりました。
●見どころ 雨中、傘をさし、松明を手に登場する老人。印象的な扮装です。この傘と松明の小道具で、雨の降りそそぐ夜の闇の中に松明の火に社殿が浮かび上がる情景を描き出す演出を、能に趣を添える例として、世阿弥が語っているそうです。 傘をさして出る能は、宝生・喜多流の特殊演出の「邯鄲」を除けば「蟻通」のみだそうです。貫之は、ワキ方屈指の大役で、ワキが活躍する作風は、世阿弥時代にはあまり例がなく、珍しいのだそうです。ワキの活躍に対し、シテは、所作も少なく、神々しい趣を主眼としていて、渋くて皮肉な味わいを持った心持の多い能となっています。
●参考文献国立能楽堂H・22年7月「蟻通」公演パンフレット小学館日本古典文学全集 「謡曲集」淡交社発行 「能観賞二百一番」
能楽のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年04月16日
5月3日蟻通神社にて「能楽」ご奉納について
<能楽・独鼓 蟻通神社でのご奉納のお知らせ>
泉佐野市指定文化財・ふるさと町屋館の旧新川家住宅の中庭で、5月3日にろうそく能が開催されます。 その公演に先立ちまして、世阿弥 作『蟻通』 にゆかりのある蟻通神社舞殿において、謡と独鼓・仕舞等のご奉納があります。 ろうそく能の公演は、今年で4回目を迎えられますが、公演の前に毎年、神社にご奉納下さっています。
神社の本殿に向かって、神様に能楽をご奉納されるお姿は、なかなかお目にすることは少ないと思います。 神社の境内からご自由に観て頂けますので、ご興味のある方は、お気軽にお越しくださいませ。
以下は、蟻通神社舞殿でのご奉納の詳細です。
出 演 観世流 生一(きいち)一門の方々
と き 5月3日(火・祝) 午後2時30分
ところ 泉佐野市長滝814 TEL 072−465−0897
蟻通神社 舞殿
入場料 無 料
奉 納 独鼓 「蟻 通」
山中 雅志
上田 慎也
独吟 「嵐 山」
姫野 古佳
仕舞 「老 松」
山中 雅志
川村 靖彦
「草子洗小町」
國枝 良雄
川村 靖彦
前回のご奉納の様子です。
能楽のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年04月14日
「ろうそく能」公演について
<第4回 佐野町場ろうそく能の公演が開催されます。>
日 時:平成23年5月3日(火曜・祝日) 一部 開場午後四時半 開演午後五時 能楽ほんもの体験(体験はチケットをお持ちの方で希望者のみです。)(事前に申し込みが必要です。) 二部 開場午後六時半 開演午後七時 見どころ解説 山中 雅志 「独鼓」 蟻通(ありどおし) 「能楽」 歌占(うたうら)
会 場:旧新川家住宅(ふるさと町屋館の中庭) 〒598-0057 泉佐野市本町5-29
入場料:前売り 3,500円 / 当日 4,000円
お問合わせ:TEL・FAX 072−469−5673 Eメール niigawake@rinku.zaq.ne.jp
ろうそく能は、今年で4回目を迎えられます。会場が泉佐野市ということで、毎年「蟻通」を独鼓で御披露して下さいます。能楽師の山中雅志先生が詳しく解説をして下さいますので、初心者の方もわかりやすいです。 間近で本格的なお能が見られるので、貴重な体験ができます。会場は、竹灯篭のろうそくが灯され、大変幻想的な雰囲気に包まれます。ご興味のある方は、是非、ご覧になってくださいませ。
ろうそく能のチラシです。
ゴールデンウィーク中の新川家でのイベント
能楽のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年04月13日
神職の装束の写真
<男性神職の正装>
4月10日は、祈年祭が斎行されました。祈年祭は大祭(たいさい)にあたるので、装束は、正装を着用します。紀貫之の衣装の部分でも触れましたが、男子神職の正装は、「衣冠(いかん)」とされ、冠をかぶり、檜扇を持ちます。 上衣・袴の色は神職の身分・階級によって区別があります。
この装束は、一人で着装するのは、非常に難しいです。 いつも助祭の神職の方々に着付けて頂いています。
お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年04月12日
今日は、祈年祭でした。
<祈年祭について。続き>
祈年祭の起源は明らかではありませんが、神代の昔、大地主神の作られた田の苗を御歳神がたたって枯れさせようとしたとき、大地主神が白馬・白猪などを供えて 御歳神を和め奉ったので苗は、再び茂ったという伝説が「古語拾遺」に見えています。
日本の文化は、稲作を中心とする農耕文化を基盤として成立していて、春には、五穀の豊穣を神に祈り、秋にいたっては、その豊作を神に感謝する基本的な祭祀儀礼が、律令国家確立に伴い国家の祭祀としてとり上げられ、制定されたものとみられています。 祈年祭のことを「トシゴイの祭」ともいいこの場合、「トシ」は穀物のことを指し、穀物の豊穣を祈る祭という意味です。
律令体制の衰微していった時代から戦乱の間は、祈年祭の実施を全くみない時代もありました。明治2年に復興され古儀再興に伴い、祭日も2月4日に宮中において頒幣の儀を行い、17日に小祭を持って宮中三殿に祭典を執り行い、また神宮には勅使を遣わされ17日に大祭を行うほか全国官幣社以下の各神社において大祭として行われました。
しかし、第二次世界大戦後、国家の祭典たる色彩の強い本祭は、全国神社よりその名称は、一時消失し、春祭りとしてその面影を留めていましたが、次第に戦前のように復興していきました。祭日は、各神社の由緒のある日などに行われています。 伊勢神宮などでは、現在も古儀のままの形で祈年祭を厳行しています。
「日本書紀」に見える崇神天皇の詔に 『農は、天下の大本なり。民の恃(たの)みて以て生くる所なり。』 とあるように農業は、日本の産業の根幹で、その消長は直ちに国力に響いてきます。
今回の震災で農地も壊滅的な被害を受けました。また、原発事故により収穫した作物が出荷できないという被害に遭われている多くの方々も。 どんなに働きたくてもそれが叶わないという悔しい気持ち、腹立たしい気持ちをたくさんの方がお持ちだろうと思います。
豊作を祈るこの祭は、単に農業関係のみの祭ではなく、あらゆる産業の人々が、その職業を通じて国家社会の進展に貢献することを祈る意味に拡大して考えるのがよいと書かれている本がありました。
今、ご苦労されている方々が、一日も早く元の生活に戻れますように、という気持ちを込めて、今日の祭典に参加させていただきました。
昔は、農業技術も今より低く、農薬等もなかったので、数年に一度は、凶作に見舞われ、彼岸花の球根などで生命をつないだ人々もあったそうです。 苦労してきた祖先の血を受け継いで今の世に生を得ているわたしたちは、技術が進み、生活に恵まれているということを、神々と祖先に感謝する気持ちを心の片隅に持ち続けることが大事だなと思います。
参考文献:神道辞典 堀書店発行
北側参道
桜が見ごろでした。
奉納していただいた幟
祈年祭が始まる前
祈年祭が始まる前
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年04月10日