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蟻通神社ブログ

新しい掲示板を作っていただきました。
<境内の新しい掲示板>

神社の役員さん方が、ガラス入りの新しい掲示板を、手作りで、作って下さいました。
神社のお知らせや、写真などを掲示させて頂こうと思っております。

神社にご参拝の折に、どうぞご覧になって下さいませ。

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神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年07月10日



本殿の板絵について

<板絵を設置していただきました。>

 蟻通神社の本殿の両側の側面に、画家中島裕司先生が描かれた、板絵を4枚設置していただきました。
 西側は、「馬に乗った紀貫之と従者」・「梅の古木と滝」の絵です。
 東側は、「蟻通明神の難題説話の故事伝説」・「帆下げの松の」絵です。

 蟻通神社の由緒を調べて下さって、縁の深い絵を描いて下さいました。
 大変、趣のある立派な絵で、蟻通神社の神さまも喜んで下さっていると思います。
 ブログで紹介させて頂きます。

 
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  昨日、梅雨があけました。
 今日は、真っ青な夏の空です。


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 紀貫之です。

DSC00118.jpg  
 蟻通明神の伝説です。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年07月09日



長滝の歴史・その4
<中世後期>  
 宮内庁書陵部に保存されている古文書の中に、鎌倉時代後期の正和5年(1316)に作成された日根野村絵図があります。日根野村の原野の開発許可をうけるために作られたものらしいですが、この中に、長滝荘・禅興寺・穴通描かれています。

 禅興寺は、大門、講堂、三重塔、本堂などが塀に囲まれている絵で、大規模な寺院であったことがわかります。長滝荘の松林の中にお社と鳥居が描かれ、そこに「穴通」と書き込まれています。これは、「蟻通」を聞き違えて誤記したものではないかとされています。

 蟻通神社には、現在も宮座が存在いたします。この宮座は、中世に荘園ができ、惣が形成された時代に生まれたものとみられていますが、同宮座のことを記す最も古い史料は寛永年間のものであり、確たることはわからないそうです。

 中世末になると、泉南は紀伊国根来寺の勢力圏に入ります。長滝荘は、鎌倉武士の木戸(山内)氏が押領として在地の軍事・警察権を握っていましたが、同氏は永正6年、根来寺衆徒長、長滝荘惣分代官、蟻通明神・大井関明神の目代を根来寺から任命されています。現在、中の番にある中の宮神社は、この山内氏の氏神であったと伝えられています。

 織豊政権期には、石山本願寺と結びついた紀伊雑賀衆・根来寺が、織田・豊臣政権と対立します。このため、根来寺の勢力下にあった長滝の禅興寺および蟻通神社もこの時期戦火をまぬがれず、焼失してしまいます。長滝の地蔵堂は、廃禅興寺の敷地内に残った古碑や石仏を後に1ヶ所にあつめ、堂宇を建立して祀ったものとされています。堂宇の周辺には、善興寺、寺前川、大門などの地名もあり、蓮華紋瓦も出土しているそうです。


参考文献:長滝の民俗
       蟻通神社と長滝
郷土・長滝のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年07月08日



長滝の歴史・その3
<平安時代>

 平安時代後期に入ると、長滝の地は、荘園となり、上東門院(藤原彰子)、東北院(三条天皇中宮)などの手を経て、藤原氏の采地になっている。

 長滝荘は、包富名(かねとみみょう)、弥富名(やとみみょう)にわかれ、その近くには、別に禅興寺の寺領がありました。

 禅興寺は最盛時は、僧80人余り、寺領900石と称した大きな寺であったらしく、長滝の永福寺には、かつて禅興寺のものだったという仏像も伝わっています。この包富名、弥富名、禅興寺領の3地域が、後の西の番、中の番、東の番の起源と見られています。

 中世後期には、荘園内部に名主層の惣結合が生まれるが、荘園領主はそうした惣仲間の有力者を番頭に任じ、この番頭に給田を与えるとともに、番頭を通じて年貢の徴収や支配をおこなっていました。いわゆる番頭制荘園でありますが、長滝荘にも3人の番頭が存在していて、これが3つの「番」の直接的始源であるそうです。
郷土・長滝のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年07月08日



長滝の歴史・その2
<長滝(ながたき)という地名の起源伝説>

 長滝というところは、わき水(デユ)、泉の多い所で、昭和初年、村内に19か所の泉(出湯)があったと記録されています。

 湧水は、またはフチと呼ばれています。長滝という地名に関係が深いのが、クズハユ(葛葉井)で、ここは、JR阪和線の長滝駅の線路の山側に、現在もあります。

 「和泉名所図会」には、ある樵(きこり)が犬鳴山の滝つぼに葉を流したところ、長滝のクズハユに流れ着いたことから、
犬鳴山から続く、長い滝いう地名がついたのだという話が載せられているそうです。長滝の扇状地の地形的な特徴を、よくとらえた伝承といえるそうです。

 このクズハユの水は、上之郷と長滝に分けられ、長滝の水は、更に西と東に別れます。西は、樫井川に沿った一帯を灌漑し、東に別れた水路は、山手に行きます。古代の稲作には、この湧水は、随分便利で、気候も温暖な所なので、古くから人が住みついていただろうと推測されます。

 自分の住んでいる町の名前が、その土地の歴史的な伝承に基づいているのは、平成の大合併などで、元の町名がなくなってしまった方々から見ると、うらやましいのだそうです。

参考資料:長滝の民俗(泉佐野市史編纂委員会)
       蟻通神社と長滝( 川口 玄 著 )
郷土・長滝のお話 蟻通神社の権禰宜 2011年07月07日



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