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蟻通神社ブログ

巫女神楽の練習
<10月9日(日)本宮の日にお神楽奉納>

 毎年、本宮の日、能舞台で小学生の氏子さんの巫女さんがお神楽を奉納してくださいます。
今日は、朝から舞台の上で練習をしました。当日は、皆様どうぞご覧においで下さいませ。
地車、宮入のため神社の境内は、予想以上にたくさんの人でいっぱいになります。どうぞお気をつけお越し下さいませ。
10月9日(日)午前10時30分よりさせていただきます。


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お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年10月01日



秋祭り「だんじり」について・その4
<長滝中のまぼろしのだんじり>

蟻通神社の氏子地域は、長滝東の番・長滝中の番・長滝西の番の3町です。同じ長滝という地名が付くのですが、それぞれ別の町のように独立した自治運営をされています。
だんじりもそれぞれ、1台ずつあって由緒も様々です。
その中で、今回は長滝中の番のだんじりを採り上げたいと思います。

 長滝中のだんじりは、まぼろしのだんじりとして、だんじり愛好者の方々の中では、知る人ぞ知るだんじりなのです。
  そのだんじりについて書かれている資料は、
泉佐野の歴史と今を知る会の北山理先生著「百人の佐野物語第6集・泉佐野の祭りと盆踊り」、

泉佐野教育委員会編集「泉佐野の祭り」、

長滝中の番町内会、地車修理推進委員会発行「泉佐野市長滝中の番四ツ屋根地車の由緒」です。

 幻の地車発見の経緯は、昭和47年岸和田市制50周年に、市のダンジリ愛好者の方々が、地車のルーツを調査されたことがきっかけだそうです。研究熱心な人々は、泉南、泉北の泉州地方に200台近くあるといわれる地車をくまなくあたり、その制作年代、形態、彫刻等をもつぶさに調査されました。 
 岸和田市の地車研究家の方が、昔、岸和田の本町と大工町の地車は四ツ屋根であったと研究結果に載せられていました。そのことをたどり、何人もの人を介して、長滝中の地車は、大工町から購入したということがわかりました。

 愛好者の方々が、長滝に来られ、各部分の写真を撮り、詳細に調査され、古老の話などを総合して、幻の四ツ屋根地車であると断定されました。
またその後、この地車の設計絵図面が発見され、大工町の地車であることが証明されました。

その図面には、大工町檀尻
          五分壹図
          文久二壬戌九月
                      作之
          梶治三郎重忠(花押)
                と墨書されていたそうです。

昭和49年5月〜6月に「まぼろしの四ツ屋根地車見つかる。しかも原型の姿で見つかった。」と四大新聞に掲載されました。

<なぜ、まぼろしなのか?>

元禄年間、当時の岸和田藩主岡部長泰公は、領民の曳く地車が城郭内の神社に参拝することを許可したと伝えられています。
 当初は現在のような豪華で優美な彫刻をめぐらせた楼閣をおもわすようなものではなかったですが、祭の日は、町民が、地車を曳き歓声を上げて城内へ入り、神社の参拝を終えて大手門より退城したと伝えられています。城下町の繁栄につれて地車は、年々その数を増やし、その姿形も名工・名匠たちの苦心工夫の結果、豪華絢爛たるものになってきました。
 
 嘉永4年岸和田藩が幕府の命令によって、日光の東照宮の改築にあたるため大工、彫刻師等が、大勢日光へ赴きました。これらの技術者たちが日光の陽明門の華麗さに魅せられて、帰国し、やがて地車にその姿を取り入れたものであろうと伝えられています。

 中の番の地車(当時は、岸和田大工町のもの)もその頃作られました。
数ある中で、当時でも珍しい四ツの破風のある名匠苦心の作による優美な四ツ屋根地車は、目立ったと思われます。
四ツ屋根とは、屋根が四ツ有るという意味ではなく、破風(はぶ)が前と後にあるのが今日の地車の形ですが、さらに大屋根の左右二ヶ所にあり、計四ヶ所に破風が作られています。この破風が日光の「陽明門」の上部の形に非常によく似ているのだそうです。

 また、特長としてロープの操作により滑車の伝道装置が働き、屋根が、上下動できることです。これは、岸和田城内に入るには、いくつもの門をくぐらなければならず、屋根を動かすことは名匠が苦心されました。しかし、時代が新しくなり、屋根を上下させる必要がなくなり、徐々に新しい豪華な地車に変わっていきました。
 
 幕末の動乱につぎ、明治維新、廃藩置県、行政の大改革等、激動の時代が続きましたが、長滝の四ツ屋根だんじりは、健在だったそうです。
しかし、ようやく世情が安定してきた頃、この地車は、岸和田の町から忽然とその優美な姿を消してしまったのだそうです。
以来、古老たちはこれを惜しみ、この地車の事を話し合い、これを口伝えてきたのです。このような歴史から、「まぼろしの地車」と呼んでいたというわけです。

「長滝中の番の四ツ屋根地車の由緒」
制作年: 文久2年(1862) 岸和田の名匠・梶 治三郎重忠 作
地車の名称:四ツ屋根(四方軒唐破風上下動式)
購入時期:明治23年(1890)岸和田大工町より購入
発見時期:昭和48年〜49年
復元修理:昭和56年








神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年09月26日



秋祭り「だんじり」についてその3
<お祭り前の境内の整備>

 10月9日(日)に神社に宮入のためだんじりが3台曳行されてきます。そのため役員さんが、邪魔になりそうな木の枝を切ったり、草をひいたり、水溜りの穴を埋めたりなど、神社をきれいにしてくださいました。
移転してから、もうすぐ70年を迎えるので、樹木もだんだんと大きくなり、近隣の皆様には、大変ご迷惑をおかけしております。
 役員さんは危険を顧みず、プロの植木屋さんのように、高い木に登ったり低木の樹形を整えたりして下さいました。一日ありがとうございました。
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梅の枝が伸び放題になっているのを整理して下さいました。


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竹林の整理と背の高い木を切ってくださっています。


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切り倒した木を運んで下さっています。


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智恵神社の前の木を整理して下さいました。


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危ないので、木の根の株を掘り出してくださっています。

 
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智恵神社の屋根をよーく見てください。
台風でで折れた枝が、ちょうどうまいこと千木の上に挟まっていました。


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屋根の木を取り除いて、修復してくださっています。




神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年09月25日



秋祭り「だんじりについて」その2
<蟻通神社の祭礼は今年は、10月8・9日です。> 
 岸和田の海手の方のだんじり祭りは、9月なのですが、岸和田の山手や泉州地域は、10月に行われます。
日程については、以前は、それぞれの神社の由緒にまつわる日に実施されていましたが、諸般の事情で、最近は、土・日・祝日に催行されるところが増えてきたと思います。

 蟻通神社では、以前は、10月の7・8日に行われていました。いつのころからか、10月の体育の日の祝日にあわせて実施しております。
 氏子地域の長滝東・長滝西・長滝中のそれぞれの町に1台ずつだんじりがあり、早くから笛・太鼓の練習をしたり、走る練習をしたりとお祭りの準備をはじめられています。町ごとの提灯も献灯され、村の中にお祭りの雰囲気が浸透していきます。

●今年のお祭りの日程です。
10月2日(日)午後から試験引き
10月8日(土)宵宮
10月9日(日)本宮・・・午前十一時頃より宮入神事
               午後からパレード

神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年09月22日



秋祭り「だんじり」について その1
<泉州地域の秋祭り>

 泉州地域の秋祭りは、「だんじり」・「やぐら」とよばれる山車(だし)を引き回して行う勇壮な祭りです。
 「だんじり」といえば全国的には、岸和田が有名ですが、泉佐野市にも3台の担いだんじりを含め全部で17台のだんじりがあります。
 また、市内に2台ある「やぐら」は、泉佐野市以南の各地で数多く見られる山車で、その北限の事例として挙げられます。
 
 神輿や山車は、神幸の際、ご神体または御霊代が乗る乗り物とされ、移動する神座としてつくられたものです。神社の氏子さんたちが、氏子の各地域を練り歩きます。これは、神がその地域を巡幸するという考え方からです。平安時代以降、神輿による神幸が広く普及するようになりますと、その様式もそれぞれ時代の意匠を伴った形で変化していきました。近世にはいると、祭りを支える町人層が富裕になるに従って、神幸渡御もさらに盛大となり、現在に至っています。

 神輿・山車・だんじり・やぐらなど形は、いろいろありますが、それらを担いだり、曳いたりすることは、神と人との間はもちろんのこと、人と人との関係を結びつける働きもあり、これが現在もお祭りが盛んに行われている理由ではないかと本に書かれてありました。

 一般に、春祭りは、豊作祈願、秋祭りは、豊作を神様に感謝する行事といわれています。かつては、祭りの日には、仕事を休み、ごちそうを食べて、大人も子供も祭を存分に楽しみました。社会が変化し、世間には様々な娯楽が溢れています。しかし、そんな現在でも地域の方々が、毎年、熱心にお祭りに参加して下さいます。少子化で、大変な部分もあると思いますが、末永く続いていってほしいなと思っています。

参考文献:泉佐野の祭りーだんじり・やぐら編ー(泉佐野市教育委員会)
       神道がよくわかる本(PHP研究所)
       神道いろは(神社新報社)



神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年09月21日



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