• 蟻通神社について
  • 境内のご案内
  • 年間祭事
  • 参拝・ご祈祷のご案内
  • ありとおし薪能
  • 蟻通神社にゆかりのお話

  • 蟻通神社について
  • 境内のご案内
  • 年間祭事
  • 参拝・ご祈祷のご案内
  • ありとおし薪能
  • 蟻通神社にゆかりのお話

蟻通神社ブログ

大阪府神社庁より 今月のお言葉
<今月のお言葉>

己の欲せざる所は

人に施すこと勿れ

    孔子『論語』


◎意味
 大きな心で人を許し、
 また自分が他人からされたくないと
 思うことを他人にもしない。
 これをふまえて交流しましょう。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月30日



蟻通神社の旧社地
<蟻通神社の森>


  熊野街道沿いの参道(昭和初期)

 参道_0003.jpg

 旧蟻通神社は、高い樹木が生い茂って薄暗く、子どもにとっては怖いくらいだったそうです。権現山など小山がいくつもあり、参道筋には、檜、杉、松、椎などの大木が生えていて、大きな木は、3,4人で抱えるほどの大きさがありました。

 参道でもっとも目立ったのは、松で、ついで檜でした。社務所の裏には、山桃があり、桜、榊などもありました。神社の境内は、3町ほどあり、東側に広がっていました。

 移転の際に神社の松は、払い下げ、売買され、家の建築材料にされたそうです。移転後の境内配置については、移転前の配置を忠実に再現されています。ご本殿は、コロを使ってそのまま引いて運んで移したそうです。

 この頃のことを記憶されている方が、少なくなってきまして、郷土の歴史を研究されている先生方が、聞き取りされた貴重な史料や本を書いて下さっているので大変ありがたいです。

 戦時下で、地元の氏子の方々も大変ご苦労された時代に、神社を移してでも存続させようとして下さったのは、尊いことだなと改めて感じます。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年05月29日



陸軍明野飛行学校佐野分教所飛行場
 <蟻通神社はなぜ移転したのか?>

 旧陸軍は、増大する戦闘機の乗員の訓練のために昭和13年三重県明野に飛行場を建設し、太平洋戦争が始まるとさらに乗員の訓練のために全国数ヶ所にその分教所の設置を進めました。この分教所の一つとして設置されたのが佐野分教所であります。
 
 陸軍佐野飛行場の建設がはじまったのは、昭和17(1942)年からでした。この飛行場の史料については、終戦直後に散逸するなどし、ほとんどみつかっていないそうです。また、軍の施設ということでその実態は、十分に明らかにはされていず、地元の方々も具体的な機能については、知らないまま終戦を迎えたそうです。

 しかし、関西国際空港が建設されることがきっかけになって、郷土の歴史を研究されている先生方が、佐野飛行場の記録を残そうと調査されました。関係者や、地域の方々からの聞きとり等が行われたり、わずかに残っている飛行場の痕跡等も調べられて史料を残されています。

 南海鉄道と阪和線の間の佐野町・日根野村・長滝村・南中通村にまたがる田園地域に飛行場が建設されました。強制移転で消失した土地は、280ヘクタールにおよびました。
民家は移転させられ松屋・一里山・南村・野添・俵屋の一部などの集落が消滅しました。

 熊野街道沿いにあった蟻通神社も移転しました。

 滑走路は、幅60メートル、長さ1200メートルあり、今の末広公園のあたりに着陸していたそうです。滑走路の先の貝の池は、飛行の障害になるため堤防が削られました。南海鉄道の羽倉崎駅や直線の道路は、飛行場建設のためにつくられました。

 昭和19年には、練習機が飛び始め、昭和20年には、本土防衛のため飛行部隊が配置され、戦闘機も配備されました。訓練所だけではなく、飛行場としても機能していたそうです。戦争が終わると飛行場跡地は、農家の方々に返却され、開拓地となりますが、灌漑施設がないため、開墾には、困難が伴いました。

 当時のことを記憶に留めていらっしゃる地元の方々がご自分たちの出身の野添村(消えた村)や蟻通神社のことを絵図に残されています。自分が住んでいた家や村がなくなり、農地を失い、生活の術を失い、大変な苦労をされて過ごされたと書かれています。
 平和な日本に生きている私には、想像できないことがたくさんあっただろうと思いますと、この平和な時代が末永く続きますようにと願うばかりです。


参考文献:「泉佐野市史研究第2号」

       「長滝の民俗」
       「消えた村ー長滝村野添
           移転した蟻通神社」

   蟻通神社跡 石碑
直ぐ横を空港連絡道路が走っています。
P5040072.jpg


お宮の四方山話 蟻通神社の権禰宜 2011年05月28日



中島裕司先生の個展のお知らせ
<蟻通神社の本殿板絵を製作して下さった中島先生の個展です>

 今年、当神社の「本殿の板絵」並びに「紀貫之の絵馬」の原画制作をして下さいました、日本美術家連盟会員で河南町の画家、中島裕司(なかじま ひろし)先生が個展を開かれます。

テーマは、『二つの飛鳥』━中島裕司の風景画展━です。

● 大阪の『近つ飛鳥博物館』 
5月29日(日)〜6月19日(日)
10:00A.M.〜17:00P.M(月曜日は休館)
  TEL 0721−93−8321(代)

● 奈良明日香村『画廊飛鳥』
6月22日(水)〜6月26日(日)
10:30A.M.〜17:00P.M(無休)
  TEL 0744−54−5533

素敵な「二つの飛鳥」で開催される先生の作品展に、どうぞおでかけくださいませ。

先生の個展のパンフレットです。

明日香_0001.jpg


明日香_0002.jpg
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2011年05月22日



「目には青葉・・・」の季節となりました。
<落ち葉がようやく少なくなってきました。>

 現在地には、昭和19年8月に移転してまいりました。元は、氏子の方々の水田や畑だったそうです。移転地を巡っては、様々な問題があったそうですが、氏子の皆様のご尽力で現在の場所に遷らせて頂く事が出来ました。
移転後、60年以上経過し、境内の樹木も神社の杜に生育し、近隣の皆様には、落ち葉でご迷惑をおかけしております。
5月に入り、木々の若葉の緑が鮮やかになってきました。

P5140001.jpg
    くすのき


P5140002.jpg
    もみじ


P5140003.jpg
     梅


P5140004.jpg
    こんもりとした杜







神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月16日



ページ : 01   02   03  

カレンダー

←前の月 次の月→
2011年05月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930

記録者

過去ログ

TEL

PAGE TOP