蟻通神社ブログ
今月の大阪府神社庁よりのお言葉
「神は人の敬によりて威を増し、
人は神の徳によりて運を添ふ」
「御成敗式目」
(意 味)
神様は人間の尊び、敬う心によってそのお力を増し、
また人間は神様のお力を頂いて運を開く。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2010年09月29日
秋祭りのご案内
※能舞台での練習風景・・・大変暑い中、頑張っています。
※社務所での練習風景・・・只今、猛練習中です。
「巫女神楽のお知らせ」
10月10日(日)蟻通神社秋祭りは、午前十一時頃より、
長滝中・西・東の三台のだんじりが宮入をします。
境内の能舞台を周る勇壮な様子は、毎年大勢の観衆の方が
見守る中で行われ、大変な賑わいです。
だんじりの宮入に先立ちまして、氏子の巫女さんたちが、
お神楽を奉納致します。夏休みから、練習に励んできました。
とても可愛らしい巫女さんたちの舞を、どうぞご覧にお出ましください。
時間は、お神楽奉納・・・・・・10時30分ころ
だんじり宮入・・・・・11時ころ の予定です。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2010年09月23日
松の木が枯れました。
今年の夏、境内の松の木の数本が、一気に真っ茶色になってしまいました。立派な大きな木になってきたのに、大変残念です。
神社だより 蟻通神社の権禰宜 2010年09月21日
佐野町場検定 巡検 陸軍明野飛行学校佐野分教所の学習会に参加しました。
※旧新川家での出発前のご説明 たくさんの方が参加されました。
※貝の池の堤防から滑走路のあった方。 貝の池は、戦中、飛行機の離着陸の邪魔になるため、土手を削りとられたそうです。 ※旧蟻通神社碑
神社のご本殿始め、施設全部が強制移転を余儀なくされました。移転がなかったら、この近辺を紀貫之や、平安時代の熊野詣での人々が歩いていた歴史をそのまま体感できたのにと、大変残念に思います。 ※飛行場正門の石柱
旧飛行場の南中安松側の正門の石柱、長滝の方の門柱は、残っていない。
泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家)に貴重な資料がいろいろ展示されていました。今日、初めて飛行場の跡地のほぼ全外周を、見学させて頂き勉強になりました。
陸軍の命令により、蟻通神社をはじめ、農地、民家、墓、集落、ため池などたくさんのものをつぶして作られた広大な飛行場だったのだなと実感しました。 この強制移転により、生活を変えなければならなかった方々の被害は、大変だったのだろうと思いました。戦後、65年が経ちますが、この戦争の傷跡の歴史を忘れずに、後世にも残していってほしいです。 本日は、新川塾のスタッフの方々に大変お世話になりまして、ありがとうございました。
お知らせ 蟻通神社の権禰宜 2010年09月18日
泉南地域のだんじり
泉南地域のだんじりのはじまりは、元禄13〜16(1700〜1703)年に岸和田藩主の岡部長泰が京都の伏見稲荷を勧請し、城内に稲荷社を建築したときに「車付引檀尻」を城内に引き入れた時と伝えられます。史料上には、延享2(1745)年に初めてみえます。このころのだんじりは、長持ちのような箱に車をつけただけの簡単なもので、太鼓をのせて打ちながら曳いたようです。泉佐野市内の記録として古いのは、文政3(1820)年に上之郷の机場と上村が合同で「古き檀尻」を所持していたというものです。しかし、だんじりがどのような発展過程を経て、現在のような形になったのかは、よく分かっていないそうです。(参考文献) 泉佐野の歴史と文化財第6集「泉佐野の祭り」 編集:泉佐野市教育委員会
ご由緒 蟻通神社の権禰宜 2010年09月08日